エドガー・アラン・ポー【 黒猫 】(8)

【 再び黒猫 】

「重大な犯罪を犯した者は、必ずその犯罪現場に戻ってこようとする」
あなたも聞いたことがあるかもしれない。このセリフを映画で観て「そういうものか」と興味深く思ったことがある。なんの映画で出てきたのか、誰のセリフだったのか、もうすっかり忘れてしまった。

ともあれ、あるシーンのあるセリフだけが記憶にとどまっていることがある。
なぜ戻ろうとするのか。戻ってどうしようというのか。そうした確たる理由がなくとも「なんとなく、しかし無性に、現場にもう一度行きたい」とでもいった犯罪者特有の心理があるのかもしれない。

さて「黒猫」。
語り手は愛する黒猫を殺し、その幻影とも言うべき「漆喰(しっくい)の壁に浮かび上がった猫の姿」に怯える。この時点で「これは天罰だ。私は神から警告を受けたのだ」と猛省するのが、まともな人間の心理ではないのか。酒を断ち、妻と動物を愛し、自分が犯した罪深い行動を忘れようとつとめる。あるいは全く逆に、その罪を心に刻み、今後の一生をかけて償っていこうとする。それが「語り手のその後」ではないのか。

にもかかわらず、語り手はまたもや酒場で見かけた黒猫に目をつける。しかも自宅に連れ帰る。彼は再び日常的に黒猫と暮らす生活を始める。これはいったいどうした心理なのだろう。「この手で黒猫を吊るした」というむごい犯罪を繰り返し思い出したいのだろうか。猛省のための自虐的な「生きた告発者」を手元に置こうというのか。あるいは再び殺すまでの束の間の平穏を楽しもうというのだろうか。

こうした読者の様々な疑惑をよそに、破滅への暴走を止められない語り手。彼はふと、黒猫の胸にある「白い斑点」に注目する。その模様は、日に日に次第に鮮明な輪郭を描くようになっていく。

それが、とうとう、まったくきっぱりした輪郭となった。それはいまや私が名を言うも身ぶるいするような物の格好になった。……そして、とりわけこのために、私はその怪物を嫌い、恐れ、できるなら思いきってやっつけてしまいたいと思ったのであるが、……それはいまや、恐ろしい……ものすごい物の……絞首台の……形になったのだ! ……おお、恐怖と罪悪との……苦悶と死との痛ましい恐ろしい刑具の形になったのだ!(原作)

この時点で、読者はどんな気分になるのだろう。きっと読者のタイプにより、様々な感想があるに違いない。語り手同様に、ただただこの進展、この恐怖に震え上がる読者もいるだろう。私はどうか。私はもう少し屈折している。とうにこの語り手を見放している。そのゆえに「そうかそうかそんなことになったのか。ざまあみろだ。いい気味だ。せいぜい苦しめ」というのがかなり本音だ。まさに悪魔。

私に言わせれば、この未曾有の短編小説は「読者をして徹底的に語り手に嫌悪や憎悪を抱かせ、悪の行動を止められない語り手の破滅を心待ちにするという、まさに〈悪魔の悦楽〉を読者に味わせようとするとんでもない悪趣味小説」と思っているのだが、どうだろうか。

しかもこんな小説をリトールドまでして小学生に読んでもらいたいとする文部省あるいは教育関係者は、この小説の恐るべき毒を本当にわかっているのだろうか。「悪事は必ず発覚する」程度の甘い認識しかこの小説に対して持っていないのではなかろうか。だとすれば、これはもう本当に情けない。「この小説を小学生に読ませる理由について、400字詰原稿用紙10枚で述べよ」と言いたい。

【 妻を殺害 】

さて延々と語ってきた「黒猫」もついに終盤。語り手の逆上はついに「妻の殺害」という最悪の行動となる。悪魔はさぞかし手を打って喜んだに違いない。

ある日、妻はなにかの家の用事で貧乏のために私たちが仕方なく住んでいた古い穴蔵のなかへ、私と一緒に降りてきた。猫もその急な階段を私のあとへついて降りてきたが、もう少しのことで私を真っ逆さまに突き落そうとしたので、私はかっと激怒した。
怒りのあまりこれまで自分の手を止めていたあの子供らしい怖さも忘れて、斧おのを振り上げ、その動物をめがけて一撃に打ち下ろそうとした。それを自分の思ったとおりに打ち下ろしたなら、猫は即座に死んでしまったろう。が、その一撃は妻の手でさえぎられた。この邪魔立てに悪鬼以上の憤怒に駆られて、私は妻につかまれている腕をひき放し、斧を彼女の脳天に打ちこんだ。彼女は呻うめき声もたてずに、その場で倒れて死んでしまった。(原作)

【 つづく 】


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