エドガー・アラン・ポー【早すぎた埋葬】(3)

【 リスボンの地震 】

このところ魔談は小説「早すぎた埋葬」(1844年)でポーが例にあげた5つの戦慄記事を順に追いかけている。なにしろ180年前の雑誌に掲載された短編小説の冒頭で単に「例にあげた」という事例にすぎない件であって、その当時でも、読者によってこの5つの件は知っていたりよく知らなかったりで、適当に読み飛ばす程度のことだったに違いない。

しかしそこをあえて偏執的に(笑)ひとつひとつ詳しく調べてみたいと思ったのだ。理由としてはもちろん「ポーが引き合いに出したほどの件だから」という興味なのだが、いまひとつは「その当時の人々が震撼するような忌まわしい出来事であったに違いない」という期待がある。「魔」のにおいがするではないか。

ところがよくよく調べてみると、これらの戦慄記事は「天災/戦争/疫病/虐殺」のいずれかに属するものだった。なんのことはない今の時代の我々が日々うんざりするほどテレビ報道で毎日見せられている世界情勢とほとんど変わらない内容だった。

(1)ベレジナ河越え ▶︎ 戦争
(2)リスボンの地震 ▶︎ 天災
(3)ロンドンの大疫病 ▶︎ 疫病
(4)セント・バーソロミューの虐殺 ▶︎ 虐殺
(5)カルカッタ牢獄における123人の俘虜の窒息死 ▶︎ 虐殺

前回は「ベレジナ河越え」を語った。これは一言で言うならば、戦争につきものの「無謀な作戦と信じがたい戦死者数」ということになろうか。
さて今回は「リスボンの地震」。これは天災である。いつの時代でも巨大地震は悲惨極まる厄災だ。その発生が大都市近郊であればさらに悲惨となり、その発生が大都市近郊の海底であれば、地震直後に押し寄せる津波によってさらにさらに悲惨となる。

ポーがここにあげた「リスボンの地震」は1755年11月1日発生の大地震を指しているらしい。ポーが生まれた1809年より54年前、リスボンに壊滅的な被害を与えた巨大地震である。推定されているマグニチュードは8.5 〜 9.0。5万5000人 〜 6万2000人が死亡した。このうち1万人前後は津波による死者だと言われている。地震・津波・火災……この3重厄災により、リスボンのほとんどの建物が廃墟と化した。

この地震・津波・火災の経過をもう少し詳しく見ていこう。

・11月1日はカトリックの万聖節(祭日)だった。
・9時40分。マグニチュード8.5 〜 9.0の地震が発生。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200km。
・揺れは3分 〜 5分ほど続いた。
・リスボンの中心部に5m幅の地割れが発生。建物の85%が倒壊。
・海水が徐々に引いていった。「沈んでいた難破船が次々に出てきた」と伝えられている。
・約40分後、15mの津波が押し寄せた。
・さらに2回、15mクラスの津波が市街地に押し寄せた。
・津波被害から免れた市街地でも火の手が上がり、火災旋風となった。
・その後5日間にわたってリスボンは火災旋風に飲みこまれた。

まさにこの世の地獄絵図を見るような阿鼻叫喚であったに違いない。

【 追記 1 】
リスボンにあるカルモ修道院はこの地震で崩壊&炎上した。貴重な蔵書5000冊を失ったと伝えられている。この修道院はいまだに再建されていない。廃墟となって残されており「カルモ建築博物館」という名の観光地となっている。

【 追記 2 】
この地震のことをあれこれと調べているうちに興味深い記事があった。津波が押し寄せる直前、街中の動物たちがみな高いところに向かって逃げたという記録が残っている。

【 つづく 】


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