エドガー・アラン・ポー【早すぎた埋葬】(2)

【 奇跡と恐怖の生還 】

小林秀雄の「考えるヒント」を読んでいたら、思いもかけずこんな話が出てきた。

 プラトンの「国家」の終わりのところで、ソクラテスが妙な話をする。昔、エルという勇士が、ある戦で戦死して、十日ばかり戦場で腐っていたが、火葬場の薪の上で、突然生き返ったという不思議なことがあった。この男は、その間に、ちょっとあの世に行って来たそうで、その見聞したところを、人に語ったという。

十日ばかり戦場で腐っていた!……私はこれを目にしたとき、小林秀雄の(彼一流の)ブラックジョークかと思った。どのような負傷で戦死したのか記述がないが、その後、十日も腐っていたら通常はもう肉体はボロボロだろ? 再起不能だろ? と思うのだが、どうだろう? 気候風土にもよるのだろうか。

ともあれこの話の場合は火葬だが、埋葬の場合は「いよいよ最後のお別れ」という土壇場で遺族が見守る中、土をかけ始めたところ、いきなり棺桶の蓋を跳ねのけるようにして立ち上がったというご婦人方卒倒ものの事件は、じつは至るところで発生してきたようである。

これはもう当然考えられるのは「どの時点で、誰が、なにを根拠に、死んだと判定するのか」という問題がからんでくる。ポーが活動していた19世紀初頭、医師が脈拍をとり、瞳孔を調べ、「ご臨終です」と診断したところで「どっこい生き返りました!」という事例は、現在よりもはるかに多かったに違いない。そのため最後の望みを託すべく埋葬まで少々の時間をおいた、ということになるのだろう。

前回に取り上げた「アッシャー家の崩壊」(2024年1月19日)では、屋敷の主ロデリックの妹マデリンは死んで棺桶に入れられてから2週間、埋められることはなかった。これはロデリックや医師の判断ではなく、アッシャー家の慣わしであったようだ。
それにしても棺桶に収めるのは当然として、それを2週間も「窖/あなぐら」に置いておく?
これはいったいどういう理由なんだろう。なぜ2週間なんだろう。語り手が「無遠慮に口出しするかぎりでなかった」と言っている以上、我々はその理由を知ることができない。……とはいえ、なんとなく見当はつく。やはり「最後の望みを託すべく」という「アッシャー家の慣わし」なのだろう。
アッシャー家最後の当主ロデリックはこの「最後の望み」を知りながら無視したのだ。棺桶に閉じ込められた状態でこのまま死んだ方がマデリンにとって幸いだと考えたのだろうか。結局、彼はその報いを受けることになる。

【 ベレジナ河越え 】

さて本題。
ポーが短編小説「早すぎた埋葬」(1844年)冒頭で例に出した5つの戦慄記事。
(1)ベレジナ河越え
(2)リスボンの地震
(3)ロンドンの大疫病
(4)セント・バーソロミューの虐殺
(5)カルカッタ牢獄における123人の俘虜の窒息死

通常の読者であれば「ふーん。なんかそういうおぞましい事件(あるいは事故や災害)があったのね」程度で済ましてさっさと次を読むだろう。しかし魔談では「この機会に」という気分でひとつひとつ丁寧に調べてみたい。
というわけで「(1)ベレジナ河越え」。

これはナポレオン軍敗退の話である。
ナポレオンと言えば昨年の2023年12月、リドリー・スコット監督作品「ナポレオン」が公開された。なにしろ映画フリークの間でも「神監督」のホマレ高いリドリー・スコットですからね。期待大で映画館に走ったリドリーファンも多いに違いない。

さてベレジナ河。この川はベラルーシの北部を流れる大河だが、その流域には広大な湿地が広がっている。「東ヨーロッパ最大の泥炭地」と言われているほどだ。
1812年10月。ナポレオンはモスクワから退却を開始した。11月、ナポレオン軍は「敗走&酷寒」という最悪状況でベレジナ河に到達。この河がロシア脱出の最後の難所だった。しかし橋は損壊しており大軍の渡河は不可能だった。背後にはロシア軍が迫っていた。
氷塊の流れる河で工兵隊が橋の修復を開始。多数の犠牲工兵が出たが橋はなんとか修復。ところがナポレオン軍が橋を渡り始めた時、追いついたロシア軍の熾烈な砲撃が開始。砲弾はついに橋を破壊した。ナポレオンはかろうじて橋を渡っていたが、 数千名が対岸に取り残されたと言われている。数千名!……以後、フランス軍にとってベレジナ河と言えば「災厄の河」といったイメージとなった。

追記(1)
上記1812年、ナポレオンは43歳。ポーは3歳。ナポレオンはこの「ベレジナ河越え」の9年後、1821年に死んでいる。ポーは12歳。この時に「ベレジナ河越え」談を聞いのかもしれない。

追記(2)
上記1812年から132年が経過した1944年、なんとドイツ軍もこのベレジナ河で大敗している。敗走する途中でベレジナ河を渡りミンスクへ退却しようとして包囲され、殲滅されたのだ。

【 つづく 】


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