【 銃撃魔談 】悪魔の銃・カラシニコフ(5)

【 戦車オタク 】

今回でカラシニコフ談は最終回の予定だった。……が、この機会にぜひ語りたいエピソードが出てきたので、最終回は次回にした。今回はぜひそのエピソードを聞いていただきたい。

カラシニコフ談を書くにあたり、中学生時代の日記を調べていた。すると自分でもちょっと意外に思うほどに、ボルトナットの話が数回に渡って出てきた。そのほとんどがすでに記憶にはなかったので懐かしく読んでいるうちに、ちょっと面白いエピソードを発見した。その内容が自分にとって単に「懐かしい」とか「面白い」だけなら魔談で語る意味はないのだが、その中にカラシニコフの設計思想に通じるものがあるように思ったのだ。

というわけで、ここでちょっと「カラシニコフ 3」に戻りたい。この回では中学生時代の技術家庭科実習について語った。男子は「ボルトナットの製図 & 制作」だった。じつはこの話にはもうひとつ、(私の記憶からはすっかり飛んでいたのだが)ちょっとしたエピソードがあった。前回の「カラシニコフ 4」の最後に書いた部分、

……カラシニコフはじつに興味深い説明をしている。
「私は(AKの)すべての部品が宙に浮いているような設計を目指した」

これと関係のある話なので、ぜひ聞いていただきたい。

というわけで、ボルトナット。
女性の方はボルトナットなどに興味はないだろうし、男性にしてもこんなものに興味を持つような中学生はいない。料理や裁縫の方がよっぽど面白いに違いない。しかし私はボルトナットに興味を持った。

理由があった。その当時、私は戦車のプラモデルに夢中だった。どう夢中だったのか。
簡単に言えばリモコン戦車、つまりリモートコントロールで前後左右に走行する戦車を、1台、また1台とつくってコレクションしていく趣味に夢中だった。

「走行戦車」(……と当時の私は呼んでいた。走行しない戦車には興味がなかった)は、¥4000〜¥5000ほどした。親からの小遣いだけではどうにもならず、両親に頼んで「新聞配達の補佐」バイトをやっても戦車が欲しかった。3〜4ヶ月に1台ぐらいのペースで戦車を増やしていった。最盛期には14台の戦車を勉強部屋の棚に並べていた。主に(第2次大戦で活躍した)ドイツの戦車だった。アメリカの戦車も2台持っていたが、当時の趣味としては車体のデザインがもう圧倒的にドイツだった。戦車兵のユニフォームも、ドイツ兵が最も洗練されたカッコ良さだと思っていた。

……で、それはともかく。
その電動モーターを戦車の車体に固定するためのボルトナットが、キット(模型の組み立て材料一式)に入っていた。もちろんそれはプラモ用なので1cmやそこらの極小ボルトナットである。机上で転がって床に落下してしまったら探すのに大変なほどの大きさだ。
しかしその金属パーツは(リモコン戦車プラモをつくったことがある人なら、きっとわかるだろうと思うのだが)プラモの箱を開けて中身を点検したとき、なにか特別なものを思わせる小さなビニール袋に入っていた。一見して重要なパーツであることがよくわかり、ワクワクしたものだ。なにしろそのような「モーターまわり」のみが金属パーツなのだ。慎重にビニール袋を開封し、中から1cmほどのボルトやナットを取り出して何度となく眺めたものだ。「ははあ、これはモーターの固定に使うボルトナットだな」などと想像したものだ。それほどボルトナットには独特の愛着があった。

そのような私が、思いもかけず技術家庭科でボルトナットと出会ったのだ。狂喜、とはいかないまでも、クラスの誰よりも喜んだのはまちがいない。しかもその長さはざっと10センチ。「でかい!」と率直に喜び、ついで「本物の戦車に使うボルトナットは、こういうものかもしれない」などと想像した。あたかも戦車を設計するかのような気分で製図にも熱意を示した。

ところが問題が発生した。誰よりも精密に製図を引き、誰よりも精巧に金属を削ってボルトナットをつくったつもりが、気に入らない部分が発生したのだ。ナットをくるくると回転させながらボルトに通していくと、ボルトの頭に達するちょい手前のところで、ナットが妙にひっかかるような感触があった。それは「微妙にひっかかるような感触」程度であって「そこから先に進まない」というほどのことではなかった。しかし「理由がわからない」ということが私をいらだたせた。ボルトのその部分に油をさしてみたり、ボルトのその部分を虫眼鏡で詳細に調べてみたり、とにかくあらゆる方法で私はその部分を調べてみた。しかしわからなかった。

あぐねた私はそのボルトナットを先生に見せた。すると先生はナットをくるくると回転させながら問題の部分の感触を確かめ、「よくできたボルトナットだ」と褒めた。その上で「課題作品としてはこれで十分にAだが、どうしても気に入らんのなら、特別にもう1個をつくっていい」と許可をくれた。その際の注意点としては「ナットの遊びをもう少し増すこと」というものだった。この時初めて私はボルトナット製図における「遊び」を真剣に検討するようになった。

この場合の「遊び」とは、要するに「ナットの溝とボルトの溝が噛み合う部分の隙間」という意味である。この隙間が少ないと、ナットとボルトはギシギシと噛み合ってナットはスムーズに回転しない。逆にこの隙間が大きいとナットはスルスルと回転してすぐにボルトの頭に達してしまうのだが、その到達点でもガタガタしてしまりがない。その中間の、ほとんどもう職人芸の感覚に近い「遊び」が最も理想とされるのだが、もちろん中学生ごときでそんなことができるはずもなく、まして興味のない者にとっては「それがなんなのさ」レベルだった。

結局、私は先生から許可を得て、ボルトナットを3本制作した。最も「遊び」の大きい、要するにゆるゆるのボルトナットは、当時の私の感覚では「だらしない女たらし」(クラスにそういうヤツがいた)みたいな嫌悪感を感じたものだ。
しかし驚くなかれ、その後10年たっても、20年経っても、その「ゆるゆるボルトナット」は私の手元に残った。理由は少々錆びても、夏でも冬でもちゃんとナットは回転したからだ。他の2本は意外なほどに錆びが進行し、ナットが動かなくなった。

さて、今回は異例と言っていいほどに長々とボルトナットの話ばかりで誠に申し訳ない。
このような、半ば苦い経験があったので、カラシニコフの言う「部品が宙に浮いているような設計」という話を聞いた瞬間に、私は一種の軽い衝撃のようなものを感じた。「あっ!」と理解したのだ。彼はたぶん、従来の銃の設計思想よりもやや大きな「遊び」を銃の設計に取り込んだのだろう。その結果、途方もない頑丈な突撃銃が生まれたのだろうと私は思う。

【 つづく/次回最終回 】


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