【 魔談連載471回 】
冒頭から余談に走ってしまい恐縮だが、魔談はこの2025年4月8日で連載開始9年となった。「ホテル暴風雨」OPENと共にこの連載は始まっている。初回は2016年4月8日(金)「魔の踏切(1)」だった。以来、1回も落とさず毎週金曜日になると怪しげな話をしてきた。
単純に計算すると、
365日✖️9年=3285日
3285日➗7=469.2857回
閏年があるので若干の誤差はあるが、今年の4月11日(金)・4月18日(金)を加えると471回ほど連載した計算となる。よくもまあ471回も続けてきたものよと我ながら感心する。
「ホテル暴風雨」オーナーの風木さんからも(尊敬する「好雪文庫」と並び)「連載記事の大黒柱」と身に余る光栄のお言葉をいただいたことがある。私としては個人でブログをする気はもともとなかったので、風木さんからお声をかけていただかなかったら、毎週連載を開始するなどまずありえなかった。あらためて「ホテル暴風雨」の一室を与えてくださったことに感謝したい。
そのようなわけで今回は【 魔談471 】。
魔談は500回に向けてカウントダウンを始めようと思う。【 魔談500 】を達成したら、自分御褒美でちょっと高級なバーボンでも買おうかと。
【 臍下丹田/せいかたんでん 】
さて本題。
私は尻を浮かすようにして、丸い座布団を敷いた。
「結跏趺坐」(けっかふざ)で足を組み、痛いのを我慢し、背筋をシャンと伸ばした。
「叉手」(しゃしゅ)で手を組んだ。
「半眼」でうっすらを目を開け、目の前の畳を見るともなく見た。
これでようやく坐禅態勢になったかと思いきや、まだあった。
「坐禅でな、一番大事なんは、呼吸や」
8歳の少年にとっては限界に近い我慢だった。学習というよりも「気分は体罰」だった。
「両手に水の入ったバケツを下げて廊下に立つ」という体罰が今はあるのかどうか知らないが(あるはずないよねぇ)、60年前の小学校ではその体罰は存在していた。私はそれを食らったことはなかったが、クラスメイトでそれを食らったヤツがいた。彼はいったいなにをしたのかもう覚えていないが、かすかな記憶では、女子をなぐったような気がする。
……ともあれその瞬間、北野少年は我慢の限界に近かった。もうキレそうだった。「なんのための坐禅か」という最も基本的な理由をまるでわかっていなかった。
「あほらし! もうこんなん、いやや!」と叫んで立ち上がり、座布団を蹴飛ばし、走ってその部屋を出たい。我慢崩壊の一歩手前だった。
しかしかろうじてそれをおさえた。もしそんなことをしたら、私はともかく、かずくんの責任になる。まだその日の朝に会ったばかりの、まだ友人とも呼べないような友人だったが、私は彼を(半ば憐れむような複雑な心境で)尊敬していた。私より3歳ほど年上だが、この少年はすでに坊さまになる決意をしている。私には到底理解できない決意だった。私は怒りで浮かしかけた尻を、元に戻した。
「臍下丹田(せいかたんでん)いうてな」
かずくんはへそのすぐ下に両手を当てた。私もそれにならった。
「ここにな、丹田いうてな、気力のみなもとがあるねん」
たぶん私はすごくけげんな表情をしていたのだろう。
気力のみなもと? こんなところに?
彼は丹田の説明に俄然、熱意を見せた。それまでの「けっかふざ」や「しゃしゅ」や「はんがん」説明にはなかった熱意を私は感じた。ごく自然に「この熱意はなんやねん?」といった興味を抱いて彼の説明に聞き入った。
「口やないで。鼻だけでな、ゆっくりと空気を吐き出すのや」
私はそうした。
「ありったけの空気をな、ぜーんぶ、吐き出す気分や」
私は限界まで吐き出した。
「……せやせや、限界まで吐いたらな、ゆーっくりと吸うのや」
私はゆっくりと息を吸いこんだ。
「……せやせや、きれいな空気が丹田にしみわたる感じや」
私は彼に習い、丹田のあたりに置いた両手でそのあたりのふくらみを感じた。
「……せやせや、ここに気力が集まるのや」
学校で習う勉強とは全く異質の学習がここにはある。ようやく私にもわかってきた。
【 つづく 】