【 魔談476 】護摩供(ごまく)

【 なにもかも修行の異世界 】

延暦寺に私を誘ったとき、篠田先生は「好きなように見学しておればいい」と言った。「(延暦寺の)どこでも勝手に行って、修行僧たちのやってることを見学してこい」というふうに私は受けとった。だからこそ「おもしろそうだ」と思ったのだ。

しかし実際に行ってみると、それは大きなまちがいだということは初日で痛感した。篠田先生は延暦寺を甘く見ていたのだ。寺も修行僧たちも小学生など相手にしないだろうと楽観的に思っていたのかもしれない。あるいは彼の息子のかずくんに連れができて「ちょうどいいや」程度の軽い気持ちだったのかもしれない。

実際に行ってみると、そこは「好きなように見学」どころではなかった。そこはしきたりと禁止だらけの異世界だった。前述した「ヤクザから足を洗った朝鮮人老人」から刑務所の暮らしを詳しく聞いていた私は「ほんまにここは刑務所やな」と思った。しかし修行僧たちは囚人ではない。8歳でもその違いはわかっていた。囚人たちはやむなく刑務所にいる。チャンスさえあれば「こんな最悪のところから脱獄したい」というのが本音だろう。修行僧たちは自分たちの希望でここにいた。あらゆる修行生活を、自発的に、淡々と、ストイックに行っていた。

「なんのためや?」
「えらいお坊さまになるためや」とかずくんは言った。
「なんでえらいお坊さまになりたい?」
彼はちょっとつまった。
「えらいお坊さまになるとな……お寺から出ていかんでも、お寺に人が集まってくるねん」
「ふーん」

疑問は尽きなかった。もっと聞きたかったが、かずくんの様子を見ていると、あまりこうした話題は好きではないようだった。こうしたとき、つまり「あまりそういう質問はせんでくれ。おれは苦手や」といった状況のとき、彼は(見ていてもおかしいほどに)そわそわとした態度をとった。

彼はここに着いて以来、始終、常になにかにおびえていた。「なんで?」と思ったものの、私はそれ以上の質問を避けた。「修行僧たちは囚人ではない」と前述したが、じつはかずくんは、彼のみが、ここでは限りなく囚人に近かった。

【 護摩供 】

昼食の後、我々は再び庭掃除を命じられた。「坐禅の時間になったら呼びに行く」ということだった。
「自由時間とか、そういうのはあらへんのか?」
「ない」
かずくんは端的に答えた。
「ここはな、24時間が修行や。自由時間は修行にならへん」
「寝るのも修行か?」
「そや」

寝るのがどう修行になるのかと思ったが、その質問はやめておいた。
私はタケボウキを持って庭のあちこちを歩き回った。風に乗って大勢の読経の声が聞こえてきた。それにはパチパチと火がはぜる音も混じっていた。鼻の奥にツンとくる煙のにおいもかすかに流れてきた。
「お坊さまたちはなにをしてるねん?」
彼も耳を澄ませた。
「あれは護摩供やな」
「ごまく?」
彼は小枝を拾って地面に漢字を書こうとしたが、ふとやめた。
「やめとこ。こんなとこに書いたらバチが当たるかもしれん」
彼は(いつものように)ちょっと不安な目つきで周囲を見回し、なにか大きな秘密でも打ち明けるように声をひそめた。
「おれはまだやったことがないねん。せやけど、お坊さまたちがやってることは知ってる」

かずくんは道具小屋の背後に私を連れて行った。そこにはブルーシートが敷いてある。
彼は小枝を5、6本集めてきた。ブルーシートの上に積み上げて、そのすぐ前に正座した。
「比叡山に生えてる木はな、霊木とかいうて、みんな普通の木やないねん」
「ふーん」
「その霊木を細かく切ってな、タキギをつくるねん。それを燃やしながらな、念仏をとなえるねん」
彼は手に持っていた小枝をタキギに追加するような仕草をした。
「なんでタキギを燃やす?」
「よう知らん。……目の前でタキギを燃やすと熱いやんか。それを我慢して念仏をとなえるのが修行やねん」
「ふーん。ただ燃やすだけ?……なんかお料理でもつくったらええのに」
彼は珍しく爆笑した。
「おれもそう思うけどな。護摩供はお料理をつくるんやないねん」

わかったようなわからんような話だった。とにかく林の向こうの大きなお堂にお坊さまたちが何人も集合し、一斉にタキギを燃やし、熱いのを我慢しながら念仏を唱えているらしい。
「ほんまにここはけったいなところやな」と率直に思った。

【 つづく 】


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