【 洋食 】
半分の5日間を過ぎたあたりから、かずくんはみるみる元気になっていった。理由は明白で、もう少しの辛抱で山を降りることができるからだ。
「山を降りたらな……」と彼はたびたび笑顔で予定(というか願望)を熱く語った。
「父さんに頼んで、カレー屋に行くねん」
彼はその店のカツカレーをこよなく愛していた。ふと眉間にシワを寄せてじつに憂鬱な表情で言った。
「この山のお坊さんたちは、カツカレーなんて1年に1回も食べへんのやろか?」
「そりゃそうや」私は笑った。「食べるはずがないやんか」
彼は両手でふっくらとした頬を押えた。不安な気分になった時に彼がよくやる仕草だった。
「お坊さんにはなりたいけど、ほんまにここはえげつない山や。ああ、はよ帰りたい」
私は笑った。
「自分家のお寺に戻ったら、お肉もお魚も食べるんか?」
「決まってるがな」
彼は憤然として言った。
「人間はお肉もお魚もおいしく食べる動物や。それを禁止するなんて、あほまるだしや!」
「それをここのお坊さんに言うてみたらどうや?」と私は思ったのだが、黙っていた。
かずくんは次第に元気を取り戻し、しばしば修行の批判を口にするようになった。ここに来た当初の「お行儀よい修行少年」は別人6号(6日目)、別人7号(7日目)となっていった。すぐわきでその様子を見ていた私にとってはじつに面白い変化だった。「そうかそうか、ほんまはそんなふうに思てんのやな」と彼に対して興味深く思った。彼は本音を吐くたびに、束縛されていたものから徐々に解放されていった。
かずくんはカタカナ料理を次々にあげた。スパゲティーミートソース、ピザ、ハンバーグ、ドリアン、ラーメン……それらの名前を口にするたびに彼は目を細めて「あと3日や」という具合にカウントしていた。
「家でそういう料理が出るのん?」
「あほな」
彼は父親(篠田先生)とふたり暮らしで、夕食は同じお寺の敷地に住む住職(篠田先生の兄)夫婦と一緒に食べているらしかった。そこで出る料理は魚も肉も出たらしいのだが……
「味があかん。味つけがうすいねん」と彼は憂鬱な表情で言った。
「おれも父さんも普段は我慢してそれを食べてるねん」
しかし我慢できなくなると、「今夜は外で食べる」と住職の奥さんに伝えて父子で外食に行くらしかった。かずくんはその外食をこよなく愛していた。普段の夕食の反動のようなガッツリしたものを食べに行くらしい。
「1週間に1回ぐらい行くのん?」
「あほな。1週間に2回は行くねん」
これには驚いた。私の実家では家族で外食に出るなど、半年に一度ぐらいだった。しかもそれは極めて祝祭的・イベント的なものであり、普段の夕食では外食という選択肢は全くなかった。
「ピザはな、普通のレストランで食うたらあかん」
「なんで?」
「ピザの専門店に行ってみ? ピザしかあらへんけど10種類はあるねん」
こうした話は当時の私にとってじつに新鮮だった。私は専門店どころかレストランでさえピザを食べたことがなかった。
私の家は和食派だったので、ピザなどという洋食はごくごくまれに父が「おい、明日の晩はピザにしよう」と言い出した時に限られていた。そんな時はベースもチーズもトッピングも父が買ってきたので、母は喜んでいた。
「家の近くに小さな洋食店があってな。味はまあまあなんやけど、父さんが行きたがるねん」
「ふうん」
「なんでやと思う?」
「わからへん」
「そのお店はだんなさんがやってたのやけど、だんなさんは交通事故で入院して、そのまま死んでしもうたんや」
「うわっ、そうなん?」
「うん。それでな、奥さんががんばってお店を続けてるけど、味はガタ落ちや。お客もガタ落ちや」
「あ、それでお店を助けようと思って行くのん?」
「そう思うやろ?」
「うん」
「ちがうねん。父さんは人助けやなんていうてるけどな、ほんまの目的はちがうねん」
彼は笑いを噛み殺したような表情で両手を胸のところに持ってきてゆさゆさと揺らすような仕草をした。私にはなんのことかさっぱりわからなかった。
「なにそれ?」
「奥さんはボインやねん」
やはり私にはなんのことかさっぱりわからなかった。そこでわかったようなフリをしてうなずいた。彼には色々と弱い面があったが、精神年齢は私よりもはるかに上だった。
【 つづく 】