【 マイルール 】
その時期、私は34歳で、フリーデザイナーを維持していたものの、やはりというか収入は全く安定していなかった。貯金はざっと160万円で、将来の自分に対し「マイルール」を決めていた。とりあえず生活費を倹約し、貯金200万円を目指そう。貯金が200万円を突破したら、その分は旅行やなにか楽しいことに使おう。たとえば貯金が210万円になったら、10万円は生活維持ではなく「自分を癒すなにか」「自分投資のためのなにか」に使う。逆に貯金がどんどん減って100万円を下回ってしまったら、フリーはあきらめて会社員になる。そのように決めていた。
その一方で「二度と会社員になるつもりはない」と決意していたので、貯金がジリジリと減って130万円とか120万円とかになってしまった場合は、必死で仕事を探した。まさに「会社員に戻りたくない一心」だった。自分で決めたマイルールだったので誰にも文句は言えなかったが、私の日常は貯金額で一喜一憂となった。「こんな数字の浮き沈みに支配されているなんて、全く情けないフリーだ」と何度思ったことかしれない。
頭の痛いことに、その時期、将来の不安は生活維持だけではなかった。印刷業界、広告代理店業界、出版業界に不穏な噂がじわじわと拡大していた。この5年から10年の間に、グラフィックデザインの仕事スタイルが大きく変革するというのだ。
通称Mac、マッキントッシュ・コンピュータの登場がその火種だった。「アップル」という、それまで聞いたこともなかったアメリカの会社がすごいコンピュータを開発したというのだ。Mac登場のおかげで、アメリカのグラフィックデザイナーは「Macが使える/Macが使えない」にどんどん二極化されているというのだ。これは当然ながら、後者の「Mac使えない派」はやがて仕事が減って絶滅するであろうという酷な予想を含んでいた。
しかも驚くべし。当時のMac価格はざっと70万円。これだけ揃えても仕事にはならない。なにはともあれ「フォトショップ・イラストレーター」という2大グラフィックツール(アプリ)をインストールして操作することが必要で、これがそれぞれ15万円。つまり合計で100万円の設備投資ということになる。

「なあに焦ることはない。まだまだどうなるかわからん」という先輩デザイナーもいた。……曰く、アメリカの英文に比べて和文ははるかに複雑だ。英文はアルファベット・数字・記号だけで綴ることができるが、和文はひらがな・カタカナ・漢字・数字・記号などなど、扱う文字は種類も数も桁違いに多い。しかも漢字には第1水準、第2水準なんてのがある。アップルとやらのアメリカの開発メーカーは、そこんとこ、わかってるのか。Macが日本の業界で通用するには、まだまだ時間がかかる。まあ10年はかかる。焦ってすぐに買うことはない。5年は様子を見た方がいい。
【 決 意 】
私は旅行代理店を出て電車に乗った。吊り革に手を預け、車窓に流れる東京の夕暮れを眺めながら、またしてもMacのことを考え始めた。
「最悪の激変時代にデザイナーを選んでしまったのかもしれない」
苦笑するような気分だった。会社という後ろ盾がなく、生活費に余裕のないフリー。しかも遠雷のようにヒタヒタと迫り来る仕事のデジタル化。友人のやつれた姿が浮かんだ。
「絶滅かもね」
デジタルは決して嫌いではなかった。むしろ興味はあった。とはいえ100万を投資してコンピュータを買わないと、デザイナーとして生き残れない?……そんな馬鹿な話があるか。そうした怒りの方が強かった。
「ルーブルなんかに行ってる場合じゃないだろ?」
そう思った瞬間に、そのまともな考えはくつがえった。
「いや、やはり行こう。いまこの時期に行かなければ、これから先、ぼくはもうどうなるかわからない」
我ながら無茶苦茶な考えだと思い、笑いがこみあげてきた。
「パリまで飛んで、人生を再検討してみますかね」
他人事のようにそう思った。数日後に考えが変わっていなかったら、「不安満載ツアー」に申し込むことに決めた。
【 つづく 】

