阿照(あでり)のプロマイド店の売れ行きは順調だ。今日も、阿照が最後の客を送り出したのは、外が暗くなってからであった。帰り支度をした阿照がペンペンとプロマイド店を出ると、暗く誰もいないはずの隣の店、皇帝の氷屋の様子がおかしい。中から物音がしているのだ。もしや、どこかのヤサグレペンギンが空き巣に入ったのだろうのか。物を漁るような音の他に、低いうなるような異音も聞こえる。
「わっ!」
とっさに阿照はプロマイド店の中に戻った。
「空き巣だ!どうしよう……。怖いな」
阿照は、外の様子をチラチラと見ながら考えた。もし、このまま帰ってしまっても、「気づかなかった」で済ませられるだろう。しかし、皇帝の大切にしている店が荒らされていたら、仲良しの皇帝に顔向けができない。でも、やはり怖い。どうしようか考えあぐねた阿照が、「うん。とりあえず今日は帰ろう」と決断した時、ふと、頭にあるものが浮かんだ。おさかな会報の一面である。『プロマイド店の阿照キュー太氏、空き巣を捕まえお手柄』という記事とともに、イケペンの自分の写真が掲載されている。その記事を見た阿照川鈴子(あでりかわ・すずこ)は、「阿照さん、素敵」と言ってくれることは間違いない。さらに鈴子から愛の告白を受けることも十分あり得る。妄想に突き動かされた阿照は、考えを改めた。これは、空き巣退治をしなければならない。鈴子からの愛の告白のため、いや、皇帝の氷屋のために。
阿照は、以前、黄頭(きがしら)の店から買った「胃弱マシーン・防犯ハンディタイプ~家庭用~」を持ち出した。これさえあれば、鬼に金棒、ペンギンにゴーグルだ。念の為にヘルメットを被ろうと店を探したが、あいにく見当たらず、仕方なく頭には豆絞りを被った。さらに、予備の武器として熱々モアイ土産店で買わされ、結局、誰も引き取り手がなかった「モアイジャンボ鉛筆」を片フリッパーに握った。こんなことで役立つことになるとはモアイもビックリであろう。とにかく、これで万全だ。というよりも、本当は黄頭の胃弱マシーンだけで十分なのではあるが。
豆絞りを被りおかしな道具を持って忍び足をしているコソ泥のような阿照が、氷屋に近づくとドアは半開きになっていた。中に誰かがいることは間違いない。中にいる空き巣は店を漁っている様子だ。恐怖で羽毛を逆立てた阿照は、「やっぱり、今日はちょっとお腹の調子が悪いから空き巣の逮捕は止めにしよう」と思い直し、くるりと向きを変えスタスタとプロマイド店に戻ろうとした。すると、ドアが大きく開かれる音がし、なにやら息遣いが荒い大きなものが背後から迫ってくる気配がする。うなるような低音が聞こえたと同時に、
「ぎょへぇぇぇぇぇぇ」
と阿照は叫びながら振り向いた。そして、やみくもに持っていた胃弱マシーンを振り回し、ジャンボ鉛筆の先を不審者に向け、スイッチを押そうと躍起になる。しかし、小さな胃弱マシーンは空き巣には当たらず、ジャンボ鉛筆にはもちろんスイッチはない。
「あ、あ、あ、阿照さん……」
空き巣は、か細い声を出した。
「ん?」
聞き覚えのある声である。阿照は動きを止め、街灯に照らされた空き巣を仰ぎ見た。それは、ガリガリに痩せた皇帝だった。
「た、た、た、ただいま」
皇帝は朦朧としながらも右フリッパーを上げて弱々しい笑顔を見せた。極寒の地での結婚・子育てを終え、ホドヨイ区の店に戻ってきたのだ。
「誰かと思った!皇帝さん、驚いたよ」
「み、み、店が心配で、とりあえず戻ったんだ。だ、だけど、電気が止められているし、た、食べるものは何もないし」
今にも倒れそうな皇帝から、「グーグー」という低い異音、腹が鳴る音が絶え間なく聞こえる。
「もう夜だけど、とりあえず海に行っておさかなをたくさん食べてきた方がいいよ。心配だから僕も付き合うよ」
「う、うん。あ、あ、ありがとう」
皇帝は素直にうなづくと、阿照に付き添われペンペンふらふらと夜の海に向かっていった。
そんなちょっとした事件があった翌日である。
「それでね、鈴子さん、迷わず僕は空き巣を退治してやろうと思い、隣の氷屋に乗り込んでいったんだ」
「まぁ、阿照さん、素敵」
プロマイド店に撮影にきた鈴子は、阿照の期待通りの反応をしてくれた。
「でね、胃弱マシーンで狙いを定めてスイッチを押す寸前で、振り向いたのが痩せ細った皇帝さんだったんだよ。危うく胃弱マシーンを浴びさせてしまうところだったけど、僕の機敏な対応で無事だったってわけさ。その後、腹ペコで衰弱している皇帝さんを海まで連れてってあげたんだ。まぁ、当然なことだけどね」
「阿照さんって勇敢なだけじゃなくて優しいのね」
鈴子の反応に阿照の鼻息は荒い。
今や阿照はプロマイド撮影で鈴子に頻繁に会えるようになっている。なので、だいぶ自然に話せるようになってきているのだ。阿照としてはかなりの進歩である。しかし、良いことばかりではなかった。阿照が撮影した鈴子のプロマイドは瞬く間に人気となり、「パワーストーン店で会える開運アイドル」として有名になってしまったのだ。鈴子目当てにパワーストーン店に行く客も増え、経営者の比毛(ひげ)も大喜びなのである。しかも、鈴子のファンは、阿照が撮影したプロマイドの新作を出すごとに増えていく。まさに、本末転倒。人気者になっていく鈴子に阿照は複雑な心境なのは言うまでもない。
「ところで、鈴子さん、次の撮影だけど明日はどうかな?」
「ごぺんなさい。パワーストーン店の仕事もあるから、しばらく撮影は無理だわ。それに、このところ毎日私の撮影だったじゃない? この前、慈円津(じぇんつ)さんが、『最近、プロマイドの撮影がない』って言っていたのも気になるし」
「あ、うん、あうあうあう……」
阿照は、痛いところを突かれて、しどろもどろになった。そんな阿照を見た鈴子が、「阿照さんって……」と何か言いかけたがクチバシを閉ざし、話題を変えた。
「ところで、熱々モアイ土産店は繁盛しているようだけど、モアイはやっぱり動くみたい。比毛社長が言ってたわ」
「あの件か。慈円津さんが、私が解決したって息巻いていたけど。ねぇ、鈴子さん知ってる? 実は、慈円津さんが入っていたミステリアス研究会ってミステリーじゃなくて……」
ちょうどその時、プロマイド店のドアが開いた。
「あら、今、私の噂していたわね」
慈円津である。阿照は、その姿を見るとビクリと跳ねた。
「慈円津さん、相変わらずの地獄耳だな」
「あら、鈴子さんもいたのね。こんぺんは。撮影中? あら、そうなのぉ~。最近、私の撮影がないようだけどなぁ……」
慈円津は、ジロリと阿照を横目で見ると、阿照は、
「いやそのあの、あうあう」
と両フリッパーをパタパタとせわしなく動かし、まばたきを繰り返した。さらに、鈴子の方をチロチロと伺うように見てクチバシをパクパクと動かしている。
「あはーん、そういうことね」
その様子を見た慈円津は、アイドルとは思えないオヤジペンギンのようなニヤけた表情で阿照と鈴子を交互に見た。そして、「あらまぁ、若いペンギンはいいわねぇ、ペンペンしててぇ、おほほ」などと、今度はオバサンペンギンのような独り言をつぶやき、今にも余計なことを言いだしそうな雰囲気である。マズイと思った阿照は、とっさに言った。
「じぇ、慈円津さん、ついでに撮影していきなよ」
「ついでって何よ!?」
慈円津は、阿照を睨みながら「このオッペケペーが」と悪態をついていたが、自ら鈴子と交代して撮影ブースに入っていった。鏡の前で身支度を整えている慈円津に鈴子がいかにも惚れ惚れとしたような声で、
「慈円津さん、いつ見ても綺麗ねぇ」
と阿照に話しかけている言葉を聞いて、慈円津はすでに機嫌を直している。
「そうだよね。まぁ、オスだけどね」
阿照の返答は無視し、ポーズを決めて微笑む慈円津は満足そうに言った。
「皇帝さんも帰って来たみたいだし、このペンギン界も平和ねー」
「そうだね。おさかなは美味しいし、仕事は順調だし、平和だよね」
阿照は同意を求めるように鈴子を見たが、鈴子の表情は暗い。
「比毛社長から聞いた話によると、そうでもないみたいです……」
鈴子は、伏し目がちに言った。
* * *
黄頭ナンデモ研究所の電話が鳴ったのは、ヨットでペンギン海をのんびりと航海するという極上のハネムーンから黄頭とマリンとクラゲが帰ってきたその日であった。
「比毛社長にも相談したのでスが、黄頭先生に是非とも調査をお願いしたいのでス。お弟子の慈円津さんでは、モアイが歩くのまでは止められなかったのでス。しかも、実は……」
電話をかけてきたアッツイ区長である柄箱巣ス平(がらぱごす・すっぺい)が言うには、異変はペンギンモアイが動くことだけでは終わらなかった。最近、モアイの周辺の地面に穴が空き出しているというのだ。その穴は、最初は小さいが日に日に大きくなるそうで、しかも数も日毎に増しているという。このままだと、アッツイ区は穴だらけになってしまう。
「是非とも調査をして、そして元に戻して欲しいのでス!」
アッツイ区長の思いは切実だった。承諾の返事をし、アッツイ区長との電話を切ると同時に、またもや電話が鳴った。
「はい。黄頭ナンデモ研究所です」
「黄頭さん!? やっと帰ってきてくれたんだ!」
「その声は、王さん?」
電話をかけてきたのはおさかな商店街会長の王であった。先程のアッツイ区長と同様に切羽詰まった声の調子である。
「黄頭さん、ホドヨイ区のあちこちで地面に穴が空きだしているという情報が集まっているんだ。しかも、大穴の様子もおかしい。吹き出しと吸い込みに規則性がなくなってきたように思える」
王の話によると、ホドヨイ区だけでなく他の区でも同様な異変が起こっているという。
「うん、王さん。私たちが調査するよ。安心して」
黄頭は王を励ますように返答したが、実のところ、とてつもなく重大なことが起こりつつあることを感じていた。もしかしたら、自分たちには手に負えないほどのことかもしれない。電話を切った黄頭は、ソファでくつろぐマリンとクラゲの方を向いた。
「マリン、クラゲくん、帰ってきて早々で悪いが、調査依頼がきた」
「もちろん、オッケーよ!」
マリンは、レモン色の勝気な瞳を光らせた。
「きかしらさんとマリンさんと、みんなでお仕事できてうれしいな」
クラゲは、黄頭とマリンの周りを回転しながらウフフと笑っている。
「頼もしいな、うちの研究員たちは」
黄頭は、鋭い瞳を細め笑ったあと、すぐに真剣な表情となった。
「今度の調査はやっかいだ。ペンギン世界の崩壊を阻止しなければならないのだから」
「やりがいがあるわ」
重大さを察知したマリンは力強く返答すると、クラゲは回転のスピードを上げた。
「うん、分かったよ。きかしらさん、僕がんばる!」
クラゲは、黄頭の黄色い頭の上にふんわりと乗っかった。
* * *
一方、皇帝はというと、ホドヨイ区の店には出勤してきているものの、今日も海に漁に出ている。痩せてしまった体を元どおりにしなければ、氷屋も再開できない。海で魚を沢山食べ満腹になったはずの皇帝だが、浜辺に上がるとすでに物足りなくなっていた。氷の地で数ヶ月絶食していた皇帝の食欲は底なしなのだ。ついつい禁止されている「歩きおさかな」をしてしまっていた。
「んぐんぐ、んまい」
店に戻るつもりが、喉をすりぬける魚のたまらない感触に方向感覚を失った。皇帝は、浜辺中央のある場所に向かっていたのだ。それは、ペンギンたちが畏怖する場所、大穴である。
「ん?……んぐんぐ」
皇帝は、腹部に何か当たった気がした。しかし、魚欲に囚われた王はそのまま進む。そこに、ちょうど漁に出ていた貴族が海面から顔を覗かせた。貴族が目撃したのは、大穴の囲いを腹で破壊して突き進もうとする皇帝である。
「皇帝さま! 危ない!」
貴族は敏速な動きで海から飛び出ると、猛スピードで大穴に落ちる寸前の皇帝の元へと向かう。
「皇帝さま! ダメです!」
「んぐんぐ」
皇帝は、貴族の叫び声も耳に入らないほど歩きおさかなに夢中である。そして、皇帝が足を一歩踏み進めた時、その足の下には何もなかった。
「んぐっ!? ……あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
皇帝は、大穴にハマってしまった。
(つづく)
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第11章 ペンギン世界の崩壊(1)、いかがでしたでしょうか?
お帰りなさい、黄頭さん。ペンギン界の地面に続々と穴があくとは、気になりますね。お帰りなさい、皇帝さん。何と言うか、変わり果てた姿になって、子育てお疲れさまでした。でもいくら空腹でも「歩きおさかな」なんてダメ!絶対!! よりによって大穴にハマってしまうとは、どうしたらいいんでしょう……助けて貴族貴子先生!
ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。
※ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。小説・エッセイ・詩・映画評など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内>