
はいのサイさん、ふたたび 前編
大日向峰歩 作・物語『はいのサイさん、ふたたび』前編。時は少し前。はいに住むサイさんのところにも、あのウイルスが何やら影響を及ぼしているようです。愛妻サイとのやり取り(命令)により、サイさんはまたしても冒険の旅に出かけるようです。さあ、今回はどのようなことが起こるのでしょうか。
大日向峰歩 作・物語『はいのサイさん、ふたたび』前編。時は少し前。はいに住むサイさんのところにも、あのウイルスが何やら影響を及ぼしているようです。愛妻サイとのやり取り(命令)により、サイさんはまたしても冒険の旅に出かけるようです。さあ、今回はどのようなことが起こるのでしょうか。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第16回。他者と群れることの意味とは?学生からの問いに始まる答え探しの旅は、思わぬところで思わぬ出会いをもたらすのかもしれません。集団の有効性について、2回に渡って考えます。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第十三話。介護は時として、そこに居た人たちに罪の意識を残していく。それは後悔となり、ふとした瞬間に思い出される。それはまるで、巻かれた糸の隙間から垣間見える、下に重なる糸。手繰るように解いていくと出てくるもの。願わくばその先に、一筋の光のようなあたたかい糸がありますように。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第十二話。記憶の奥底にあるパンドラの箱は再び沈み、「わたし」は娘として、母である「私」のためにできることを尽くす。介護は、正解のない問いの答えを探すようなもの。それなのに、どうして人は、それが正解か否かを決めようとするのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第十一話。弟、それは母と娘の葛藤を昇華する存在。子どもの頃、母の愛に飢えた「わたし」の心に生まれたタツヤは、息を潜めながら、サチコと共に育ってきたのかもしれません。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第十話。久しぶりの母との二人暮らし。一人残してきた夫との何気ない会話から、〝それ〟は少しずつ綻び始めます。「私」と「わたし」の過去に、一体何があったのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第九話。いろんなことをどれだけ忘れてしまっても、母親の本能を果たそうとする「私」。そんな母との久しぶりの二人暮らしは、「わたし」を思わぬ過去へと誘うのですが……。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第15回。認知症を描いた名作『ファーザー』の鑑賞体験から、物事の理由を知りたくなって、腹落ちさせるとホッとする人間の心理を帰属理論から考えてみます。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第八話。足を骨折していることを覚えていない「私」の元を訪れる「わたし」こと娘のサチコ。そこで交わされる親子の会話。認知症の親とのやりとりは、いつも、同じ場所をぐるぐる回っているようで、その軌道は少しずつずれていくのです。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第14回。親の介護における、息子と娘の現状認識の違いや格差について、家父長制と正常性バイアスから考察してみます。