潮時 第二十七話
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十七話:『ドライビング・ミスター・フルムーン』その1。79歳の満男の最近の気がかりは、共に暮らす2つ下の妻、鶴子の様子がおかしいこと。今度、一人娘の章子が計画し、鶴子の喜寿を祝う会が行われることになったのだが……。五つめの〝潮時〟の始まりです。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十七話:『ドライビング・ミスター・フルムーン』その1。79歳の満男の最近の気がかりは、共に暮らす2つ下の妻、鶴子の様子がおかしいこと。今度、一人娘の章子が計画し、鶴子の喜寿を祝う会が行われることになったのだが……。五つめの〝潮時〟の始まりです。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第21回。ジャケットに惹かれて購入する〝ジャケ買い〟という行為から、ものの〝タイトル〟や〝肩書〟について『相互協調的自己観』から心理学的に検討し、ジャケ買いの良し悪しを考察しています。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十六話:『研究室の窓から』その8。渋々連れて来られた夫の職場。もう関与することのないその職場の同僚と、ひょんなことから接することになる弥生。そこで田辺の一面を知ると共に、自分の中のある感情と弥生は向き合うことになります。四つめの潮時の話、ラストです。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十五話:『研究室の窓から』その7。子どもの頃なら、たとえ自分で自分の首を絞めるようになったとしても〝なかったこと〟にできるのかもしれない。でも大人なると、容易に引っ込みがつかなくなるものです。身から出た錆とはいえ、思いがけず退職することになった田辺の元に届いた一通の手紙。それは弥生にも少なからず影響を与えることになるのかもしれません。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十四話:『研究室の窓から』その6。田辺という一人の男にも、夫や父という役割があるように、家族の姿というものはその視点の数だけ、見え方も違うのかもしれません。その景色の中を、鳥のような身軽さで行き来するあずさ。子どもの持つ自由さが、この家族に何かをもたらすのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十三話:『研究室の窓から』その5。大人になれば、自分の尻は自分で拭わなければなりません。駄々をこねた挙句、大学を辞めることになった田辺。そのことを家庭内で報告する時、止まっていたと思っていた歯車が動き出します。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十二話:『研究室の窓から』その4。思わぬ同僚の災難により、働く意欲ゼロの田辺に、突然降って湧いた小さな責任。大学という職場で自由気ままに生きるためには、それなりの責任を負うことが必要なのですが、田辺にはそれを担うことができるのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十一話:『研究室の窓から』その3。田辺不在のまま進む会議という名の雑談。必要なことを言わせない空気をまとう会議ほど無駄なものはないのですが……。どうやら問題は、田辺自身にだけあるわけでもなさそうです。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第二十話:『研究室の窓から』その2。本人がいないところでは悪口三昧、というのは、どの職場にでもある光景なのかもしれませんが、定例の会議前、田辺不在の教授室では、田辺以外の教員たちが決意をもって何かを画策しているようです。
大日向峰歩 作・小説『潮時』第十九話:『研究室の窓から』その1。天下り先の地方の私立女子大で働く68歳の田辺は、新学期を迎え、気重な毎日を過ごしている。気重さの原因は、仕事が忙しくなるからだけではないようで。四つめの〝潮時〟の始まりです。