
心を紡いで言葉にすれば 第16回:群れることの意味
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第16回。他者と群れることの意味とは?学生からの問いに始まる答え探しの旅は、思わぬところで思わぬ出会いをもたらすのかもしれません。集団の有効性について、2回に渡って考えます。
毛と山と鉄を愛するサイコロジストが、漏れ出た内言、綴ります
大日向峰歩作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第16回。他者と群れることの意味とは?学生からの問いに始まる答え探しの旅は、思わぬところで思わぬ出会いをもたらすのかもしれません。集団の有効性について、2回に渡って考えます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第15回。認知症を描いた名作『ファーザー』の鑑賞体験から、物事の理由を知りたくなって、腹落ちさせるとホッとする人間の心理を帰属理論から考えてみます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第14回。親の介護における、息子と娘の現状認識の違いや格差について、家父長制と正常性バイアスから考察してみます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第13回。間もなく迎える新年。お正月といえばの「だるま落とし」から連想される人間の欲求を階層性を説明し、料理におけるゴボウのように、縁の下の力持ち的な存在の尊さを考えます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第12回。人のこころに根付く攻撃への衝動とその対処方法としての鍵付き日記の有効活用法を精神分析学的に解説するとともに、人間の記憶と存在の不確かさを考えます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第11回。自分でも何故そうするのかよくわからないままに、ある場所ある時、いつも同じことをしてしまう。その理由を心理学の学習理論に沿って考えてみます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第10回。見間違い、聞き間違い、勘違い。人がするいろんな違いはあるけれど、〝人違い〟する時の心のメカニズムをニュールック的に考えてみます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第9回。対人場面において容姿を偏重する傾向である、面食いの心理について、社会心理学的に考察します。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第8回。人間の記憶の不思議について紐解き、事件や事故の目撃証言の不確かさについて考えます。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第7回。消費行動における「最後の一点」の謳い文句に負けてしまう心理について、社会心理学的に解説し、「本当の自由」とは何か、問いかけます。