徳山和尚にしてみれば、定刻になっても昼食の合図がないので様子を見に来ただけなのであって、弟子たちに「合図もないのに何処へ行くつもりだ」とか「「とどめの一句」をわかっていない」とか口々にツッコまれる筋合いはない、と言いたいところかも知れません。
私の師匠である雪竇和尚がこのエピソードに対して「まぁ、「独眼竜」と呼ばれたお人であっても、実際には単に片目なだけだったりするんだよね。」とコメントしていたことを思い出しましたが、私に言わせれば、あるいは徳山和尚は「牙のないトラ」のようなお人なのではないかと。
巌頭和尚は徳山和尚の翌日のトーク(説法)がこれまでと全然違っているので手を打って笑ったとのことですが、正直なところこれだけの情報ではいったい何がどう違っていたのか、よくわかりません・・・
まぁ、禅の公案というのは皆そんな感じであって、もしも貴方が「全部わかりました!」というのであれば、確かに私を含めた世界中の人達は貴方をどうすることもできず、現在・過去・未来の仏たちもまた貴方の風下に立つしかないでしょう。
巌頭和尚の「同じ枝の上で咲いたが、散る時は別々」というのは大ヒントですので、是非、この一句には真剣に取り組んでいただきたいところです。
雪竇和尚はこのエピソードに対して、次のようなポエムを詠みました。
とどめの一句をアナタにあげる。
ぴかぴかでまっくらなものはなに?
一緒に生まれたことはわかっても、死ぬときは別々。
お釈迦さまもダルマさんもご存じない。
東西南北、さあ帰りましょう!
夜ふけに積もった雪を見よう!!
招慶和尚はある日、羅山和尚に尋ねました。
招:「和尚の師匠であった巌頭和尚はかつて「そうだね! そうだね! 違うね! 違うね!」と仰ったそうですが、これはいったいどういう意味なのでしょうか?」
羅:「どちらもピカピカに明るくて、深い穴のように真っ暗なのさ。」
三日後、招慶和尚は改めて羅山和尚に尋ねました。
招:「和尚、先日ご教示いただいた件、あれからずっと考えてみましたが全く意味がわかりません。申し訳ありませんが、もう一度質問させてくださいませ。」
羅:「なんだい、あれだけ懇切丁寧に教えてやったというのに・・・」
招:「「どちらも明るく、どちらも暗い」とは、いったいどういう意味なのでしょうか?」
羅:「一緒に生まれて、一緒に死ぬことさ!」
後に、とある僧が招慶和尚に尋ねました。
僧:「「一緒に生まれて一緒に死ぬ」とは、一体どういうことなのでしょうか?」
招:「犬の口を閉ざせ!」
それを聞いた僧はブチ切れて「和尚こそ口を閉ざしてメシを喰いなさい!」と捨てゼリフを残して出ていくと、羅山和尚のところへ行きました。
僧:「「一緒に生まれて一緒に死なない」とは、一体どういうことなのでしょうか?」
羅:「角がない牛のようなもんだね。」
僧:「「一緒に生まれて一緒に死ぬ」とは一体とういうことでしょうか?」
羅:「トラに角があるようなもんだね。」
後に、羅山和尚の門下生が招慶和尚にこれらのやりとりの意味について尋ねたところ、招慶和尚は次のように答えたそうです。
招:「人はみな、その意味について知っているハズなのだ。
なぜか?
例えば私が世界の東の果てで話せば、西の果ての人は皆知ることになる。
天で私が話せば、世界中の人が知ることになる。
わかるか? コミュニケーションというものは言語だけでするものではない。心と心、眼と眼でも充分に可能なのだ。」
「一緒に生まれる」というのは、まだわかりやすいかも知れませんが、「一緒に死なない」となるとやや難解で、お釈迦さま、ダルマさんだってわかっていたかどうかは怪しいものです。
「東西南北に帰ろう」というのはなんとなくわかるような気もしますが、「夜ふけに積もった雪を見る」とはいったいどういうことでしょうか?
果たしてそれは「明るい」のでしょうか?
それとも「暗い」のでしょうか?
「一緒に生まれる」のでしょうか?
それとも「一緒に死ぬ」のでしょうか?
賢明なる読者の皆さんなら、当然もうおわかりですよね。
<何だこれは!? 完>
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