Twitterでお話しました
みなさまこんにちは。
「妄想生き物紀行」編集担当、ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。
今回も、ポッドキャスター・ぐっちーさんのエッセイ「ウシ〜ウシの家畜化とヒグマの進化」を読んで、ぐっちーさんにあれこれお聞きしたもようを、お伝えいたします。
先週のぐっちーさんのエッセイをお読みいただくとより楽しめる内容です。
ウシはただのホームベーカリーではない
先週のエッセイでぐっちーさんが提唱した「ウシはホームベーカリーである」説。草ばかり食べているのにあの巨体をキープしている秘密であるところの微生物がポイントになっていますが、そこでシャルル大熊さんからの質問です。
ぐっちーさんに質問です。ウシは馬れたときから、もとい生まれたときから胃の中に「無機態窒素を有機態窒素に変換する微生物」を飼っているんでしょうか?#有機態窒素
— シャルル大熊 (@charles_okuma) August 3, 2022
その微生物、超便利。というか、ないと困ります。後天的に獲得するとしたら、獲得しそびれたら終了という気がしますが。
生まれた時は持っていないようです
ただ、親と一緒に過ごしているうちに唾液などを共有して細菌も共有するようです
稀にお腹の調子がわるい子がいますが、健康な牛の便を移植する「糞便移植」をすると治ることが多いらしいです
ドイツでは人間でも行われているという記述がありました🥶— ぐっちー (@mousou_guccy) August 3, 2022
え、生まれつきではないのですね? 親と共有する機会を逸すると大変そうなのは予想通りですが、そんな場合にもちゃんと治療方法があるとは。その名も糞便移植とは……。
「糞便移植」……あんまりなネーミングですよねえ。検索してみましたが、心やさしく「腸内細菌移植」くらいにしていけない理由は見つかりませんでした。人間に施すというならなおのこと。心も身体と同じくらい大事だよ、医療関係者の皆さん。
— シャルル大熊 (@charles_okuma) August 3, 2022
本当に、あんまり過ぎます。直裁にもほどがあります。手術を「切る」と言うことさえ婉曲に感じられるくらいでは。
ネーミングは大事ですね
輸血ならぬ輸細菌?— ぐっちー (@mousou_guccy) August 3, 2022
輸細菌。なんでそれじゃダメだったんでしょうかと考えてみましたが、
腸内の細菌を培養して取っておくという方法は別にあるみたいなので、それと区別するためでしょうか。
それはそうと
ウシはイースト菌を毎回入れなくていいタイプのホームベーカリーということですね(高性能)!— SAITO Ukyo (@ukyo_an) August 4, 2022
「輸細菌」ぽいのが他にもあるからでしょうかね。ワクチンなんかも輸細菌みたいなものですしね。
そしてウシ、ただのホームベーカリーじゃありません。小麦粉と水と、あとはバターとか入れればいいんです。イーストはいらないんです。高性能です。
ふわゆさんからもコメントいただきました。
牛は親から、良い菌を貰えるのですね。
人間の場合、近年ではピロリ菌や虫歯菌の侵入を防ぐため、親から子供に口移しで食べ物を与えたり、チューが禁止になってます。
これは日本人だけかしら?
海外の方は挨拶でキスしますもんね。— ふわゆ (@100kero1) August 4, 2022
口移し禁止は聞くようになりました。ということは、虫歯やピロリ菌が激減しているのでしょうか? 大人になって時代につれて常識が変わることを経験してしまうと、後の時代に「口移しとか関係なかった」と結論される可能性もまだあるかも、と思ってしまいます。観察を続けることとします。
虫歯菌の話は最近よく耳にしますが大人になってからなら移らない(菌が入ってきても定着しない)みたいですね。あと、産まれるときにお母さんの産道から良い菌を貰えるそうです。帝王切開だとあまり貰えないとか。それを聞くと、なければないで何とかなるのね、とかえって不思議な感じがします。
— SAITO Ukyo (@ukyo_an) August 4, 2022
そうなんです、この話もけっこう衝撃でした。帝王切開で産まれると菌をあまりもらえないそうなんですが、そんな人はいくらでもいますし、別にそれですごく困っているという話も聞きません。でも、何かが少し違うのかもしれません。共生する菌によって何かが変わるならば、時代を経て人間が変化したり、同じ時代でも「国民性」や「県民性」などの地域差があるのは、案外「菌が違う」のかも? 風土の違いとは即ち菌の違いなのかも? などと時々思います。
シャルル大熊さん、ふわゆさん、どうもありがとうございます!
現役猟犬は日本にいるのか?
続いて、ホテル暴風雨・風オーナーからの質問です。
子どものころ読んだ動物文学に、信頼する猟犬を相棒に巨大熊を仕留めるマタギの話がありました。猟犬の鋭い嗅覚でOSO18の足跡から追跡できないのでしょうか?#OSO18 #忍者グマ
— 風木一人@ホテル暴風雨オーナー (@Kazeki_Kazuhito) August 3, 2022
マタギとクマの戦い、私も何かで読んだことがあります。犬は大事な相棒というイメージですよね。
北海道で私の知っている方の中では犬を連れて猟をされている方を知らないので、犬は少数かもしれません
— ぐっちー (@mousou_guccy) August 3, 2022
ふーむ、今時猟犬というのはいないんでしょうか。
子どものころ読んだ本でも過去の話でした。熊を追跡できるような猟犬はもういないのかもしれませんね。
— 風木一人@ホテル暴風雨オーナー (@Kazeki_Kazuhito) August 4, 2022
マタギ犬といえば秋田犬のルーツと聞きますし、他の日本犬はたいてい猟犬として確立した犬種なのではなかったでしょうか。日本犬以外でも、ビーグルとかポインターとか元々猟犬だった犬種は今も大変愛されていますが、実際猟をするという話は、確かにあまり聞きません。優れた嗅覚を使って働く犬といえば警察犬がいますね。風オーナー、どうもありがとうございます!
異種間闘争に惹かれる謎の心理
さて、OSO18の話をネットニュースなどで読み、こんなふうに感じてしまう人は、いないでしょうか? ぐっちーさんはどうでしょう?
OSO18の話、深刻な被害も出ているし怖いなと思う一方、シートン動物記とか、冒険もののかっこいい悪役みたいな投影もついちょっとしてしまいます。現実感が薄いのかもしれないです。とはいえカラスなど身近に深刻な被害があっても投影している気も。ぐっちーさん @mousou_guccy はいかがでしょうか。
— SAITO Ukyo (@ukyo_an) August 4, 2022
これは、クマの被害が身近であれば変わってしまう感じ方なのか、どうなのか?
クマが人間を襲った有名な事件が三毛別事件です
このような人間にとっての悲劇が再来しないことを願うばかりです
OSO 18にはこのまま森にかえって二度と人里に降りてこないことを願うし言って聞かせたいですhttps://t.co/hwrnYBC8ZI— ぐっちー (@mousou_guccy) August 4, 2022
うーむ、そりゃそうですよね。動物による被害でありながら「連続殺人事件」くらいの衝撃的な事件だったのだと思います。
この事件をモデルにした小説もありますね(吉村昭著『羆嵐』)
二度と来ない、が(ファンタジー投影としてもハッピーエンドですし)人間と熊と双方に良いですが、それでも降りてくる熊の事情は何だと考えると、OSO18のケースにおいては食料不足だけでは説明できない不気味さがあって怖いですけれどね— SAITO Ukyo (@ukyo_an) August 5, 2022
猟奇的と評されているくらいですからね
予測不能です— ぐっちー (@mousou_guccy) August 5, 2022
OSO18も本当に怖いですよね。
さて、私自身はクマの被害を受けたことも、目の当たりにしたことも、あまり身近に感じたこともありません。ですがこの、「冒険小説的な投影」は現実感の薄さだけが原因とも思えないのです。
@mousou_guccy
でもよく考えたら犯人が人間だったらそんな投影はしないので、動物ということでファンタジーにしてしまう回路があるみたいです。動物との共生を考えるという真面目な動機とも少し違い、駆除対象になる生き物(虫等、自分も実際困っている対象でも)の目線を想像してしまうような。— SAITO Ukyo (@ukyo_an) August 4, 2022
改めて整理すると、
- 人間にダメージを与え得る力を持つものが破壊的行為をする
- しばしばその行動は人間の理屈ではよくわからない
- 人間には立ち向かう力が不足しており、被害に対し十全な対処をすることも困難
というような状況を、ちょっと面白いと感じてしまう感性が自分にはあると思います。例えば、害獣・害虫・アレルギー・病原性細菌やウイルスなどに対してです。私もコロナは怖いし、アレルギーに花粉症に虫刺されにとけっこう困らされ、天井裏にネズミが住み着いてひどい目にあったこともあります。もっと深刻な被害が人命を脅かしている状況はもちろんどうにか解決してほしいし胸が痛みます。が、それでも何だか一方で、純粋に現象だけを取り出して見れば興味深いのです。
あまり大声で言うと「非国民」ならぬ「非人間」と謗られそうですが、よくよく考えてみると、突然現れた謎の大怪獣に街中を破壊され尽くすという映画にこれだけ熱狂して来た人類です。私だけでなく、どこかにそういう興味を持っているのではないでしょうか。「破壊願望」「理解を超えたものへの畏怖・リスペクト」などもこの興味の兄弟のように思えます。
で、なんでこうなったと言われそうですが、そんな考察をふまえて今回のページトップの絵を描いてみました。怪獣映画のポスターっぽく。クマはわりとストレートにクマですが、やられっぱなしのウシが不憫すぎるので少し強そうにしてみました。小松左京著「くだんのはは」で有名な、予言をする人頭のウシ「くだん」のイメージです。
怖い本を二冊も紹介したくせに、絵は怖さ要素ゼロの仕上がりとなりました。
どっちが強そうかといえばどっちもそんなに強くなさそう
では今回はこれにて。
次回のエッセイのテーマは「チョウ」です。妄想旅ラジオ第56回「チョウ」では、とにかくぐっちーさんがチョウの話を全然しない点が聴きどころ。ハラハラします。予習がてら、ポッドキャストもぜひ聴いてみてください!
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