ぐっちーさんと話そう<26> 伝統と共生と怠け者

Twitterでお話しました

こんにちは。今週もよろしくお願いします!

みなさまこんにちは。
「妄想生き物紀行」編集担当、ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。今回も、ポッドキャスター・ぐっちーさんのエッセイ「妄想生き物紀行 第26回 ウとアユ〜職人の経験と科学の間で」を読んで、ぐっちーさんにあれこれお聞きしたもようを、お伝えいたします。

先週のぐっちーさんのエッセイをお読みいただき、そしてポッドキャスト「妄想旅ラジオ」第26回「ウとアユ」もお聴きになるとより楽しめる内容です。

ぐっちーさん、よろしくお願いします

伝統と特別なウ

では早速、鵜飼について、風オーナーからの質問です。

昔は10年働いてもらったらウを野生に帰していたとエッセイにありましたよね。まだまだ元気なうちに帰してあげようという意味だったのか、それとも? と気になるところでしたが、

ライフステージに合わせてワークバランスを変化させる。鵜飼の世界も伝統をかたくなに守るだけでなく、より良く改善したり時代に合わせたり、変わっていくのですね。

そして伝統といえば、シャルル大熊さんからはこんな質問です。

何しろ1300年ですからね。何が起こったのでしょう。

なるほど、謎に包まれたウミウの人工繁殖。ほったらかしってことも、なくはないか!?

伝統と違うことをするインパクト、重み、それは伝統あればこそ。いろいろ考えてしまいますね。

風オーナー、シャルル大熊さん、ありがとうございます!

釣りのお供はウミウ? カワウ?

鵜飼というと現代ではウがアユを獲るさまを見せるパフォーマンスとして認識されがち。鵜匠も、伝統工芸の職人や伝統芸能の演者のようなイメージで見ています。ですが鵜飼はもとはといえば漁のひとつのスタイルで、鵜匠も漁師の一種なのですよね。よくこんなに手間のかかることを先年以上続けてきたなと思います。

さて次は、トリフィド【いさましいちびの博物愛好家】さんにいただいたコメントをご紹介します。

なぜウミウ? と思いますよね。

ところで『獣の奏者』とはそういう、人と一緒に暮らす動物の話なのですね。同じ作者の「守人シリーズ」は面白かったので、次はこれも読んでみたいものです。

すみません、↑このツイート↑で、「中国の鵜飼はウミウ」と書きましたが、「カワウ」の間違いです。カワウは鵜飼に適さないのかと思ったらそうではないみたいなので、よけいに「じゃあなぜわざわざ日本の鵜飼はウミウを?」という謎が深まったのですが、

う〜ん、昔の日本ではウミウの方が身近だったのでしょうか? どっちも身近だったけれど、ウミウを選んだのでしょうか。

そう、私は東京在住ですが、近所の公園にいます、ウが。そういえば上野の「不忍池」にもいっぱいいます。ウは今も身近な鳥です。が、カワウなのかウミウなのかがわからない!

鷹狩りは人と鷹の「共生」的な色合いが非常に濃いと聞きますね。

鷹匠は鷹を操る人と思ってしまいますが、「鷹を主人だと思って仕える」心得が大切だそうです。と、私はこちらのインタビューで知りました。何とも奥の深い世界です。

インタビューに答えていた鷹匠・ごまきちさん作の漫画

この小説にも、薄圭子巡査が休暇を取ってタカと暮らすお話が登場します

はい、話は戻ってカワウとウミウ。本当によく似てるのです。海でも川でもどっちもいるとなるとますます。でもやっぱり、今はウミウが限られたところでしか捕獲できないからには、公園にいるのはカワウか?

ハシブトガラスとハシボソガラスの方が、まだ見当がつく……ような気が……しないこともないです。

一年中いたらカワウ。それしか素人にできることはないと見ました。

そうですね。鳥、そんなに荷物持てなさそうなのに。

荷物持てなそうだからいいのかな、と試しに考えてみたところ、意外と言えているのではないかと。

いますね、運ぶ動物、運ぶ人たち。それぞれ、安全、早い、大切に運ぶ、などのイメージを体現していますが、

はい、やはり鳥は抽象的な運び手のように思います。

私はけっこう鳥が好きで、鳥が歩いていると尾行し、飛んでいると立ち止まって見続ける習性があるのでよく方角を見失い道に迷いますが、考えてみると多かれ少なかれ、「人はみんな鳥が好き」なのかもしれません。

トリフィドさん、どうもありがとうございます!

怠けの座をめぐって

続いて、妄想旅ラジオパーソナリティのおひとり、ポチ子さんからも質問です。

そういう視点はなかった〜!

どうなんでしょう、ぐっちーさん?

確かに。エンタメ化が過程主義に至るポイントなんでしょうか。

私も「昼寝家」とか「道草家」とかになりたいです。

やっぱりエンタメ化がポイントですね。ということは、

「泣き女」が今もいるかはわからないのですが、「怠け女」の時代はこれから来ると思われます。

最後に、「真社会性」に関する私の思いつきを。

運動神経がブチ切れている私は、高校の体育の授業で、バスケットボールの補欠の座を巡って熾烈な争い(といってもジャンケン15番勝負などですが)を繰り広げたことを懐かしく思い出しました。ちなみに全員強制参加ですので、補欠より下はありません。「出ずっぱり」が基本、「たまに出る(これが補欠)」が何名かという編成です。補欠の椅子は玉座の座り心地、本でも読んでいられればもっと最高でした(本はダメなので妄想していました)。

ポチ子さん、どうもありがとうございます!

長い歴史のあるウと人の関係。それだけに妄想ポイントも満載でした。みなさまありがとうございます。

今回のページトップの絵は、新しいのを描くのを怠けた 鵜飼を描いた川合玉堂の素晴らしい作品です。

では次回もどうぞお楽しみに。また来週、こちらのサイトで、そしてTwitterでお会いしましょう!

ご意見・ご感想・ぐっちーさんへのメッセージ、ヘリウム・二酸化炭素による吸う息の声が変わるか情報は、こちらのコンタクトフォームからお待ちしております。

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