ネアンデルタール人〜いかにしてホモ・サピエンスはネアンデルタール人と「交替」したのか

撮影:ぐっちー

ヒトはサルから進化した。こんな説明が巷にはあふれている。もちろんこのエッセイを読んでいる読者諸兄はこの説明が間違っていることを百も承知だと思う。ヒトとサルの共通祖先から方やヒトに、方やサルにそれぞれ進化したのだが、ヒトはサルから進化したと言った方が説明が簡単かつ、想像がしやすいという理由でこのような説明が市民権を得ていると推測される。ネアンデルタール人についても同様で、ネアンデルタール人が現在のヒトに進化したと考えている人も少なからずいるだろう。

ネアンデルタール人はヒト科、ヒト属、ネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)で、今から約3万年から4万年前までヨーロッパ大陸を中心に生息していた人類である。現在のヒト(ホモ・サピエンス)と共通先祖であるホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐したと考えられている。ただし、これらの学説は現在も研究が続けられている分野なので断定は避けたい。そしてヨーロッパ大陸ではネアンデルタール人とホモ・サピエンスの一部であるクロマニヨン人が同時期に生息していた。

今から約20万年前、アフリカで誕生したホモ・サピエンスの一部がアフリカを出て世界各地に分散していった。16万年前にヨーロッパに到達した一群がクロマニヨン人と考えられており、先住していたネアンデルタール人と接触したと思われる。それから約10万年の間両者はそれぞれヨーロッパ大陸内で生存し続けたことになる。

我々が知っているホモ・サピエンスの歴史では、必ず強者と弱者が出現し、強者が弱者を駆逐してきた。これは種間だけではなく、種内でもそうだ。このような歴史観の中で考えるとネアンデルタール人とクロマニヨン人がそれほど頻繁ではなかったかもしれないが、接触していたはずで、お互い駆逐されることなく10万年もの間生存できたことが不思議でならない。

ただ、約3万年から4万年前には先住していたネアンデルタール人が絶滅した。このネアンデルタール人からホモ・サピエンスへ優占人類が変化したことを「交替劇」と呼ぶ。この緩やかな交替劇がいかにして起こったのかを明らかにする研究が2010年から2014年にかけて日本で行われたのである。この研究は文部科学省の科学研究費補助金が使われている。交替劇の真相に迫るという世界の先進的な分野に投資し、人類のロマンを解明するために日本の税金が使われていることについて世界に対してもっと発信していかなくてはならないだろう。

これまでも交替劇研究は世界各地で行われており、自然や社会環境に適応できたかどうかで生残が分かれたとする「環境仮説」や技術・経済・社会システム等の優劣が原因とする「生残戦略仮説」など、多数の仮説が提唱されてきた。今回の研究ではネアンデルタール人とホモ・サピエンスの学習能力の違いに焦点を当てて検討している。ただ、学習能力の違いを客観的に評価するためには様々な分野の研究を統合しなければならない。従来の考古学、化石人類学、遺伝学に加え、文化人類学、発達心理学、生体力学、精密機械工学、脳科学、古神経学などの分野と共同でネアンデルタール人とホモ・サピエンスを比較しなければならないビッグプロジェクトである。

具体的内容として、遺跡から出土した石器の比較、長期間圧力がかかってゆがんでしまった頭蓋骨の復元、復元された頭蓋骨から算出された脳の容量と各部位の大きさ検討、脳の部位変化による行動変容の推定などである。それぞれの分野で先進的な研究を行っている専門家が集まって、それぞれの観点から議論を行う非常にエキサイティングな場が設けられたことだろう。

石器の比較ではネアンデルタール人の石器はあまり変化がなかったのに対し、ホモ・サピエンスのそれは時代によって工夫が重ねられていた。頭蓋骨の復元では3Dモデルを使って圧力の度合いをシミュレートできた。脳の容量はネアンデルタール人が1550mLでホモ・サピエンスが1450mLだが、学習能力はホモ・サピエンスの方が高いと推定された。これらの結果から移動や氷河期などの環境変化に対してより柔軟に対応できたホモ・サピエンスが生き残ったのではないかとの結論であった。

もしネアンデルタール人とホモ・サピエンスが同じ職場で働いていたら、昔からのやり方をかたくなに守るネアンデルタール人に対し、もっと効率的なやり方がないか模索するホモ・サピエンスという構図になるかもしれない。伝統的な職人の仕事はネアンデルタール人、新規に起業するようなスタートアップはホモ・サピエンスが得意とするかもしれない。そして日本はどちらかというとネアンデルタール的な社会なのかもしれない。

「交替劇」という言葉は「交替」と「劇」に分解される。交替は文字通り入れ替わることで、ネアンデルタール人からホモ・サピエンスに入れ替わったことを表す。一方、劇には二つの意味がある。一つは激しく強いといった意味で、劇薬、劇物、激痛などの使われ方をする。もう一つはたわむれ、芝居などといった意味で、演劇、歌劇などの使われ方をする。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの交替劇は演劇などの意味で使われていると思われ、主役が二人いるダブル主演の舞台を見ているようである。

ところが、「交替」にはもう一つ「交代」という字もある。先述の研究報告には「交替」が使われていたため、ここでも交替劇を使うが、「交代」には社長交代や世代交代などのように一回限りの入れ替わりという意味があるのに対し、「交替」には何度も入れ替わるという意味になる。「交替劇」命名についての記述を見つけることができなかったが、「交替」という字を使ったということは、ホモ・サピエンスに替わる新人類の登場を予言しているのかもしれない。

参考リンク:
文部科学省科研費補助金「新学術領域研究」:ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相: 学習能力の進化に基づく実証的研究

(by ぐっちー)

※このエッセイ「妄想生き物紀行」は、ポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ第52回 ネアンデルタール人」と関連した内容でお送りしています。ポッドキャストはインターネットのラジオ番組で、PCでもスマホでも無料でお聴きいただけます。「妄想旅ラジオ」は、ぐっちーさん、ポチ子さん、たまさんの3名のパーソナリティーが毎回のテーマに沿って「生き物」「食べ物」「旅」について話す楽しいラジオ番組です、詳しい聴き方などは「妄想旅ラジオ」のブログを。

ぐっちー作「妄想生き物紀行」第52回「ネアンデルタール人〜いかにしてホモ・サピエンスはネアンデルタール人と『交替』したのか」いかがでしたでしょうか。

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こんにちは!

現人類ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の交替劇、生き残る条件として、環境や状況の変化に合わせた柔軟性が脳の大きさを凌駕するという仮説は実に興味深いですね。変化の激しい現代のサバイバル戦術の話かと思ってしまいます。ホモ・サピエンスはこれから複数の新人類に分化してそのうちのどれかだけが生き残るのでしょうか? だとしたらその分化はどんなもの? 機械の体人間と生身の人間? 鳥人間ときのこ人間? 面白くて妄想が止まりません。

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