最後の晩餐〜「最後の晩餐」は妄想である

私が子供の頃、1999年に人類が滅亡すると噂になっていた。いわゆるノストラダムスの大予言である。ご存じの通りこの予言は見事に外れることになるのだが、当時の子供にとっては死活問題であった。せっかく大人になっても人類が滅亡してしまっては元も子もないのである。もちろん99パーセント信じていなかったが、もし残りの1パーセントだったらどうしようと常に心の片隅にしこりのような不安感があった。

ノストラダムスは1999年7月に恐怖の大王が降ってくると予言していると噂されていた。恐怖の大王が何なのか友達の間で議論した。私は隕石を推していたが、友人は核兵器を推していた。隕石の飛来は人類の意思を介在せず予言にふさわしいと考えていたのだが、友人は隕石だけでは人類の滅亡まで至らないのではという意見であった。しかし、その意見は核兵器においても同様ではないかと反論したが、結論には至らなかった。

これまで数多くの生物が絶滅してきた。人類もいずれ絶滅することは明らかなのだが、問題は何時、どのようにして絶滅するかである。恐怖の大王襲来のように突如絶滅するのか、あるいは日和見的に徐々に絶滅するのか不明である。前者の場合、その事実は事前に周知されるのか、また一部の人間にしか知らないうちに突如訪れるのか興味をそそられる。事前に周知された場合、社会インフラは最後の時まで維持されるだろうか。全員が仕事を放棄して刹那的に行動してしまえば社会機能は麻痺してしまい、混沌としてしまうのではないか。

明日人類が滅亡するとしたら最後に何を食べたいかという設問がある。当然この設問は社会インフラがすべて正常に稼働していることを前提としている。隕石の衝突が原因だとすれば、1年くらい前から隕石の衝突の危険性をNASAが指摘するかもしれない。半年前からはいよいよその可能性が高くなってきたことをメディアが取り上げ、1ヶ月前には隕石衝突時の対処法がワイドショーで取り上げられるだろう。このような状態で多くの人は有休を使って職場を放棄し旅行に出かけようとするかもしれない。

一部の人は隕石衝突の瞬間まで業務を続けるかもしれないが、多くの人が職場を離脱すると電車も飛行機も便数を減らされることになるかもしれない。スーパーに行っても食材はほとんど売り切れていて、入荷の見込みもない。直接農家の畑に行って盗んでくるしかないのである。町に犯罪があふれ、警察官による取り締まりも行われない。人類最後の日を迎える前に犯罪に巻き込まれて死んでしまうかもしれない。そして家から一歩も出ることができなくなってしまっているのである。

このような状況を1ヶ月間生き抜いた後、最後の晩餐を何にしようか考える余裕はあるだろうか。計画的な人であれば最後の日まで食料を保存して最後の晩餐を楽しむのだろうが、電気やガスが使える保証もない。薪でお湯を沸かしてカップ麺を食べるのが最後の晩餐になる可能性が大きいだろう。隕石による人類滅亡の場合、最後の晩餐は味気ないものになるだろう。

一方、隕石の衝突を命からがら生き延びたとしても、衝突の衝撃で舞い上がった塵が地球全体を覆い植物が育たなくなってしまい、多くの生き物が死に絶え、人類の食料も底をついて最後に自分一人だけになってしまった場合、餓死することになってしまう。そうなれば、最後の晩餐などと言っていられず、何も食べられず死んでしまうのである。

ここまで書いてきて我ながら救いがない文章だと自覚したので、自分一人だけ明日人類が滅亡することを知っているという状況について考えてみたいと思う。私以外は明日人類が滅亡することを知らないので社会インフラは正常に稼働している。スーパーに行けば品揃えは豊富である。ただしネットでの取り寄せはできない。最後の晩餐はスーパーなどで買うことができる日常的な食材に限定されるだろう。そのような状況であれば、酒屋で売っている最も高級なワインと、コンビニで売っているある程度満足しているデイリーワインを飲み比べてみたい。セイコーマートのワインは1000円以下でもおいしいと思っているのだが、自分の舌を最後に試してみたい。

でも、酔った勢いでTwitterに明日人類が滅亡することをつぶやいてしまわないか心配である。頭のおかしい人だと思われるかもしれない。でも、指をくわえて人類の滅亡を静観していることはできないのである。なんなら夕食を食べている暇もなく各方面へ真実を告げる活動を行っているかもしれない。いずれにしても最後の晩餐を楽しむ余裕は見出せなかった。

※このエッセイ「妄想生き物紀行」は通常、ポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ」 の各放送回と関連した内容でお送りしていますが、今回はエッセイだけの独自テーマ回でした。ポッドキャストはインターネットのラジオ番組で、PCでもスマホでも無料でお聴きいただけます。「妄想旅ラジオ」は、ぐっちーさん、ポチ子さん、たまさんの3名のパーソナリティーが毎回のテーマに沿って「生き物」「食べ物」「旅」について話す楽しいラジオ番組です、詳しい聴き方などは「妄想旅ラジオ」のブログを。

ぐっちー作「妄想生き物紀行」第54回「最後の晩餐〜『最後の晩餐』は妄想である」いかがでしたでしょうか。

今回もお読みいただきありがとうございます、編集担当・ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。

こんにちは!

最後の晩餐というのは自分の人生最後の晩餐であればよいので、何も人類最後の日でなくてもいいのでは……と素直に感じてしまったのはさておき、ぐっちーさんの言う通り、「人類最後の日」がいつだか人類全員が知ってしまうと恐ろしいことになりそうです。「高級レストランで豪華ディナー」なんて能天気な願いは叶うべくもないですね。
ひょっとして人がバラバラと時間差で死んでいくのは、かつて不老不死を手に入れていたはずの人類が「人類最後の日」を知って大混乱が起きたため「みんな落ち着け、じゃあこうしよう、人類最後の日まで少しずつ死ぬってことにしようじゃないか」と相談し、くじ引きか何かで代々の子孫に至るまで死ぬ順番を決め、そうこうするうちに世代交代を繰り返し当時の記憶を失った結果なのでは? (というSFはどうでしょうか)

Twiterでぐっちーさんと話そう企画

さて今回も、ぐっちーさんとみなさんと、Twitterでお話したいと思います。最後の日に食べたいもの、最後と言わず今日食べたいもの、恐怖の大王の正体について、好きな終末ものSFについて、などなど何でもお話しましょう。参加方法はTwitterに書き込むだけ、なので初めての方も、ラジオお聴きのみなさまも、質問してみたい人はもちろんただお話してみたい人も、エッセイを読んでの感想、ぐっちーさんへの質問やツッコミなど、ぜひお気軽に。お待ちしています!

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