池袋の単館上映からスタートし、あまりの人気のために全国に公開が広がっている映画がある。
私が見た、出来たばかりの所沢の劇場でも満員で、上映後に拍手が起きた。大阪の知人によれば大阪の劇場も満員、拍手だったそうだ。その映画は「侍タイムスリッパ―」である。
なんと、幕末の会津藩士がタイムスリップで現代の京都に来てしまう話である。ところが、来たところが都合よく(?)時代劇撮影の場所であり、主人公は、親切な住職夫婦の家に居候し、「斬られ役」としての人生を始めることになる。
この映画が設定として卓抜なのは、まあ、タイムスリップは誰でも考えることだが、今一歩、その先を考えてあること。ネタバレになるが、江戸時代、敵側の侍と斬りあっていた時にタイムスリップに遭ったのだが、その相手の長州藩士も現代に来ていてしまったという点だ。その相手と共に、本格的時代劇映画作りが進行していくという面白い作りになっているのだ。
美点は他にもある。この主役の会津藩の侍が好人物なのである。生真面目で一生懸命、環境の変化に戸惑いながら、何とか必死で生きていく。この高坂新左衛門を演じた山口馬木也は好演。
住職夫婦からショートケーキを出され初めて食べ、あまりの美味しさにオドロキ、「日本はいい国になったのですねえ」としみじみ言うところは、笑えるどころか、なんだか、ジンと胸に来るのである。それは、全体として江戸より今の日本が良くなっていることに加え(それはそうだが)、苦難の会津の歴史を我々が知っているせいなのかもしれない。また、侍と言うのが、そういう他人や、国家全体のことを考える人々なのかも知れない。
正直言うと、完成度は高くないところもあり、中盤ややダレるところもあるが、クライマックスの、映画の最後のシーン、二人の斬りあいのシーンが、ある事情もあり(その理由は書かないでおく)、異常な盛り上がりを見せるエモーショナルな展開になっている。リアルで迫力があり、断然素晴らしいのだ。
間違いなく、この映画、衰退していく時代劇作りへの愛に溢れている。殺陣師関本役を演じた実際の東映京都撮影所の所作指導者、峰蘭太郎がとても品よく滋味を出している。脚本、監督、そして撮影も照明も編集(!)も務めた安田淳一氏は大健闘である。彼は米作り農家を営みながら映画製作を続けているそうだ。東映太秦映画村が全面的に応援した映画である。
好きな映画をもう一本! 隠れた時代劇映画の傑作が「十三人の刺客」(1963年)だ。江戸時代、将軍の弟にあたるヒドイ残虐非道なバカ殿がいる。幕府の命を受けて、十三人の侍が、その殿たちが参勤交代で国元である明石藩に帰る途中、宿場町(中山道落合)で待ち構えて、暗殺を図らんとするストーリーである。十三人、黒い着物で鉢巻をキリリと締めて横に並ぶショットが印象的だ。
暗殺する側のリーダーの目付島田新佐衛門を演じるのが、重厚な片岡千恵蔵。甥を演じるのが里見浩太朗。他に嵐寛寿郎や西村晃(怪演)がいる。敵側の明石藩家老鬼頭半兵衛を演じるは内田良平。渋く鋭い。
この映画、魅力が沢山ある。まず、ナレーションが実録調で読まれるのがいい。つまり、記録文書に記載されたものを読むという趣で、リアルなドキュメントタッチが出るのである。
次にワイドスクリーンのモノクロ撮影が素晴らしい。例えば、待ち伏せしている場所に、深い霧の中、馬に乗った殿たち一行が蹄の音を轟かせて画面後方から手前へ向ってくるシーンはぞくぞくする。
また、その13人対53人の延々と繰り広げられる死闘もよく演出されている。体力の続く限り死力を尽くして斬り合う。映画史上最長と言う30分の長さだが、決して単調にならない。最後の見せ場が、殿を斬るシーンだ。部屋に1人逃げ込んだ殿が画面奥に映り、手前に島田がいる。「お待ち申しておりました」と痺れる台詞を言って、島田が斜めに斬りつけるショットは構図が完璧。
島田と鬼頭の一騎打ちがまた見事。お互いの武士に「一分」(即ち、論理)があり、それを互いに認め尊重するという武士の姿勢に感銘を覚えた位である。
この映画はジャンルで言うと「集団抗争時代劇」である。作った東映の底力が感じられる一作だ。2010年にカラーでリメイクされているが、このモノクロの緊迫感ある前作には及ばない。島田役は役所広司、殿役は稲垣吾郎。
(by 新村豊三)