離乳食、それはひと雫のお粥から始まり、食という広大な海へと繋がる大きな川のようなものである。
と誰が言ったか知らないが(たぶん言ってない)、育児の中でもとりわけ多くの時間と労力、そして創意工夫が求められる部分だろう。
自分はおいしいものが好きで、料理をするのもかなり好きな方だ。「かわいいとおいしいがあればなんとかなる」という座右の銘を掲げてライブの物販のTシャツにまでしたくらいなので、そこはブレない自信がある。
しかし離乳食という川は時に濁流となり滝になり、いくつも枝分かれをして沼地に入り込んだりもする。今回はそんな離乳食について書こうと思う。
一般的に日本の離乳食のスタートは生後5ヶ月から6ヶ月、10倍粥から始めるというのが定説になっているが、最初の難関はこのお粥である。
お粥というものは余程体調が悪いか、海外に行った時くらいしか食べたイメージのない自分にとってはほぼ未知の領域のものだった。10倍粥というのはその名の通り、米の量に対して約10倍の水で炊くお粥のことだが、もちろんそんなものはこれまで一度も自分で作ったことはない。
まず、その比率で米と水を鍋に入れた状態を見た時に、これで本当に大丈夫なのかという疑念と不安が湧いた。鍋の中に一合の米と10倍の水。5合炊きの鍋だと米は底が見えるほどしかなく、ほとんど水なのである。
幼少期にカルピスをたくさん飲みたいがためにどこまで希釈出来るかを試したことがあるあなたなら、きっとそれを思い出すレベルだろう(推測です)。
しかし、とりあえず炊いてみないことにはどこに辿り着くのかわからない。勇気を持って炊飯機能のあるガスコンロのスイッチを入れ、離乳食という大河へ飛び込んだ。
しばらくするとグツグツと米を炊く音と香りが上がり始める。さらに炊き進めると粘度が上がって泡立ち始め、鍋の蓋から確かにお粥のようなものが吹き出してくる。
通常のご飯よりも圧倒的に水分量が多いため、鍋蓋の通気穴から吹き出す液体でガスコンロの周りが軽くライブペインティング状態になるが、ここで蓋を開けてはいけない。
グツグツ、プシュー、コトコト。
そして出来上がったものを見ると、それはほとんど柔らかい「糊」である。紙や封筒を接着するあの「糊」。
小学生の頃、青や黄色のチューブに入った糊があったなあ、あれは今でもあるのだろうか?図画工作、苦手だったなあ。などと鍋を見ながら考える。
このように育児は人の心を遠い日の記憶にいざなう作用もあわせ持っているわけだが、そんな思いに身を任せているわけにはいかない。自分は今離乳食という大河に飛び込んだばかりなのだ。
おそるおそるひと匙すくって口に含むと、おお、意外にしっかり米の味がする。これはちゃんとお粥である。米、すごいな、というのが最初の感想だ。しかし米の底力に感心している場合でもない。何も味が付いていないし、食べ物というよりは飲み物、それを超えてもはや「糊」に近いわけで、子供が口にしてどんな反応をするのかは全く未知数だ。
記念すべき初めての食事の記憶は定かではないが、記録によれば一口食べて、「おお!食べた、初めての米を食べた!」と思ったのも束の間、その後はやはりハードロックバンドのボーカリスト並みに絶叫したらしい。
それでもなんとか初めてのお粥を食べさせることに成功したわけだが、この先には段階的に量と回数を増やし、お粥の硬さを変えて行くという計画性と規則性が必要なセッションが待ち受けている。
そもそも行き当たりばったりの人生を送ってきた自分にはこういうことが本当に向いていないという確信があり、考えただけでもう誰も知らない遠い国へ行きたくなってくるわけだが、ここで逃げるわけにはいかない。もはや川の流れには逆らえないのだ。
果たしてお粥の状態が正しいものなのかどうか、翌日には市販の初期離乳食のお粥を購入してその状態と味を確かめているあたりに自分の必死さがうかがえるが、市販のものはよりキメの細かいペースト状で出汁の香りが付いており、これを自宅で作るのはなかなか大変だと思ったことは覚えている。
紙オムツ同様、日本のベビーフードのクオリティーは実に素晴らしいものがあり、道標のひとつとして沼地に入りこんでしまった時には是非おすすめしたい。
お手本を真似することからオリジナルなものが生まれるというのは音楽でも同じで、誰かのイカした(死語)曲や演奏の雰囲気を真似しようとしているうちに全然違うことになってしまった、というのがオリジナルの究極の形ではないかと自分は思っている。
いきなりフレーズが天から降りてくる、というような人も中にはいるかも知れないが、少なくとも自分はそういうタイプではないので市販の離乳食はとても助けになってくれた。
話を戻そう。疑念と不安にまみれた10倍粥作りはひとまずそのハードルを越えることが出来たが、初期離乳食を作るにあたって何が一番困難かというと、「おいしいのかどうかさっぱりわからない」ことである。
そもそもおいしいかどうかという基準は主観的なものであり、ひとそれぞれの好みや体調にも左右されるものだが、それ以前に初めて食べるものばかりの乳児にとって「おいしい」という感覚がどのようなものかもわからない。大人の料理と違って、お粥を一匙すくって「うむ、この深み、なかなかの出来だ」などと思えるわけがない。だって「糊」なんだから。
「糊」からスタートした離乳食は徐々に段階を踏んで、自分と子供にとっておいしいと感じられるかどうかを判断出来る「ごはん」と呼べるものになっていくわけだが、その段階で様々な実験と試行錯誤の日々がやってくることになる。
次回はそれについて書いていくつもりだが、10倍粥のことだけでこんなに文字数を使えるというのは、限られた素材で通常の何倍もの量を生み出すお粥作りの経験が文章でも生かされた結果だ(きっとそうだ)。
育児に最も必要なもの、それはとにかくポジティブなものの考え方なのである。
(by 黒沢秀樹)
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