めちゃめちゃ小さな達成感

なんでもしてあげたい「してあげる期」真っ最中の息子だが、このところはその前過程である「するする期」との間を行き来しながら、日々出来ることを増やしつつある。
なんでも自分ですると言ってチャレンジし、挫折するとすぐに「父さんがやって」ということになるわけだが、自分が何かしてあげたいという気持ちと、自分にはできないことがまだたくさんあるという現実の中で揺れ動いているようだ。

ギターでいうところの「 Fが弾けた」みたいなことはそんなに起きないが、日々を一緒に過ごしていると、子どもは実に細かいことを大切に感じて、気にしていることがわかる。
このところは自分でお風呂に入浴剤を入れるのが息子の決まりになっているが、その作業にも一連の細かいルーティンが存在する。まずは引き出しから入浴剤の箱を取り出して中身を吟味し、その中から自分の好きな色のものを選ぶ。なぜかはわからないがそれを持って一度浴室からキッチンにわざわざ移動し、そこで「うんとこしょして」と言う。
「うんとこしょ」というのは「おおきなかぶ」という絵本の中の言葉が元になっており、絵本の中で人間や動物が力を合わせておおきなかぶ(野菜)を引き抜く際に使われる言葉であるが、どうして小さな入浴剤の包装を破る時にその状況をキッチンで再現するのかは謎だ。
「うんとこしょ、どっこいしょ」と言いながらなんとか包装紙を破って入浴剤を取り出すとそれを持って浴室へ行き、お湯をはった浴槽に放り込む。それからまた別の粉末状のバスソルト(お砂糖と呼んでいる。塩だけど)をスプーンに2杯きっかり入れてようやく服を脱ぐのだが、その頃にはだいたい先に入れた入浴剤は溶けている。

ベビーカーに乗る時、パジャマを着る時、歯磨きをする時、バナナを房から取る時、買い物をする時、全てにおいてこのようなこだわりが出現してくるので、それに付き合っているといろんなことにえらく時間がかかってしまうわけだが、急いでいるときや慌てている時に限ってこう言うことが起きるので、どうしても大人はやめさせたり、時には叱ってしまったりする。

これらは全部「わがまま」と言う言葉で括られてしまうことが多いが、自分は子どものわがままというのは決して悪いものではないと考えているし、どちらかといえば大切にするべきものだと思っている。
納得いくまで物事をする経験ということは、とても重要だと思うからだ。
たとえば、スーパーで選んだカットフルーツのパックを子ども用のカゴに入れ、レジに差し出し、それを自分の手で家まで持って帰る、というようなひとつひとつの小さな作業の積み重ねは、そのミッションを全てこなしてはじめて「買い物」という一連の行動につながる。
効率を考えれば大人が買った方がはるかにいいのは当たり前だが、時には持てなかったり、途中で落としてしまったり、という失敗を実感しながら得る「めちゃめちゃ小さな達成感」の積み重ねが、実はその後の人生の土台になっていくのではないだろうか。

やめさせたり叱ったりしてしまうことがあるのは仕方がないけれど、急ぎの用事や危険があるわけでもないのにそういうことをしてしまうのはどちらかといえば大人の都合であり、養育者である自分の心に余裕がないことにこそ問題がある。
大人になれば自分の思うようにはいかないことだらけだし、時間もどんどん限られていく。確かにそれが現実だとは思うが、子どもにさえわがままを言わせてあげられない世の中の方がどうかしてる、という考え方があってもいいんじゃないかと思っている。

今日は近所のお友達からもらった素敵なクッキーの箱を噛んでよだれまみれにしてしまったが、息子はふとその箱を持って歩いて行ったかと思うと、ゴミ箱を開けてそっと中に入れ、蓋を閉じた。
「え?この箱、捨てちゃってもいいの?」と聞くと、小さな声で「見つからないように」と言った。子どもは自分のしていることを、ちゃんとわかっているのである。

(by 黒沢秀樹)

『できれば楽しく育てたい』黒沢秀樹・著 おおくぼひでたか・イラスト

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※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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