もうすぐ4歳半になる息子はなんでも自分でやりたがるようになってきた。椅子を巧みに使い手の届かないところにおいたはずのグミやクッキーを見つけたり、トイレの鍵を中から閉めたり、チャイルドシートのベルトの脱着、果てはテレビの電源を切って挨拶(ありがとうございます、明日も見せてください、と言うことになっている)をするところまで「ダメ!自分がする!」といって譲らず、うっかりその機会を奪うと絶叫して「ダメー!父さんはいじわる!」と言うようになった。
その割にあきらめは早く、ひとりではできないとわかるとすぐに「父さんがしてー」という展開なるのでややこしい。「自分でやるって言ったでしょう?」と言うと、また「いじわる!」である。世の中には本当の意地悪というものが存在し、それがどんなものなのかを息子はまだ知らないのだ。
そして魔法学校に通わせてもいないのに、どこで覚えたのか頻繁に魔法をかけるようになった。
「アブラカタブラ、眠れ!」
「アブラカタブラ、止まれ!」
「アブラカタブラ、元に戻れ!」
どうやら「アブラカダブラ」という呪文は昭和の時代からまだ引き継がれていて現役らしいが、その度に魔法にかからなくてはならないのもなかなかの労力である。さらにそれが発展し、オリジナルの眠りの魔法の曲まで歌うようになった。
「たららーちゅっちゅっちゅっちゅー」という言葉をオリジナルのメロディーに乗せて歌うのだが、これがなかなか良い出来で、確かにちょっと魔法にかけられたように気持ちになる。
「うわー、おかしいぞ!なんだか眠くなってきた。。。ぐー、ぐー・・・。」
そんなわけで、遊びの幅もかなり広がってきたことを感じている日々だが、その中で息子にとってどうしても許せない言葉がある。それは、
「あれ?赤ちゃんなの?」
である。
この言葉を口にした途端、
「違う!赤ちゃんじゃないーっ!赤ちゃんダメ!ぜったいぜったい禁止!!お父さんはいじわるっー!!あがちゃんじゃないーー∆≈´ªˆπß˚∂©çˆ…∑!!」
と絶叫が始まる。
息子にとって今、最もプライドを傷つけられる言葉は「赤ちゃん」なのである。
確かにもう赤ちゃんとは言えない大きさではあるが、まだまだ甘えたり泣いたりする小さな子どもである。どうしてそんなに赤ちゃんと言われるのが嫌なのだろうか。
そんなことを考えていたら、かなり前に少し年上のお友達の家に遊びに行った時、逆の現象が起きたことを思い出した。小さい子どもたちが何人かいる中で、一番年上だったその子が泣き始めたのだ。
「みんなでお兄ちゃん、お兄ちゃんっていつも言わないで!!」
「まだ赤ちゃんなんだから」「お兄ちゃんでしょ」「お姉さんなんだからしっかりして」
自分たち養育者は歳の差がある子どもたちの中にいると、ついこのような言葉を使ってしまう。
自分は3人兄弟の真ん中だったし、日常的にかなり幅広い年齢層の子どもたちが家に出入りをしていたのであまり偏った記憶がないが、核家族化が進んだ現在では言われている子どもの方からするとあまり気持ちの良いことばかりではないようだ。
「そっか、ずっとお兄さんしててえらかったね、抱っこしようかー」というと、その子は泣きながらしがみついてきた。
お兄さんやお姉さんである前に、どんな子もひとりの子どもである。そんなにおおざっぱな括りにされてしまうのはたまらないだろう。子どもだって自ら選んでお兄さんやお姉さんになったわけではないのだ。
息子が赤ちゃんと言われるのを嫌がるのは、ひとりでは何もできない赤ちゃんと同じように思われたくない、という自立心の芽生えであると同時に、どこかで赤ちゃんを自分よりも弱い存在として見下しているとも考えられる。そこで涙とよだれにまみれている息子に言ってみた。
「そうかあ、赤ちゃんじゃないのか。もうお兄さんなのかあ。。。父さんはお兄さんもかっこよくて好きだけど、赤ちゃんもかわいくてだいだい大好きなんだよなあ。さみしいからたまには赤ちゃんになってくれない?だめ?」
そういうと息子は少しふてくされながらも赤ちゃん抱っこのスタイルで腕の中に収まり、そしてまた魔法の呪文を唱え始めた。
「アブラカダブラ、お父さん、赤ちゃんになれ!」
仕方なく赤ちゃんになって「いやだいやだー!うえーん!」と泣いてみると、4歳の息子が頭をなでてくれた。赤ちゃん抱っこをされている子どもに頭をなでてあやされるという謎な状況から、呪文によってまた魔法が解かれた。
「アブラカダブラ、普通のお父さんに戻れ!」
「はあー、びっくりしたー。。。父さん赤ちゃんになってたよ!」
息子はドヤ顔でケタケタと笑った。
大人は年齢や肩書き、容姿や性別などで人をカテゴライズする傾向があるが、そうした固定概念に縛られている限り、一緒にいる子どもはその養育者の価値観を共有することになる。
息子には会社員でもフリーターでもミュージシャンでも赤ちゃんでも、みんなに等しくあるその存在の大切さを感じてもらえるような人間になってほしい、と願っている。
(by 黒沢秀樹)