手づくりのクッキー

先日、知人のアレンジャーから電話があったが、子どもの晩ごはんの支度中だったので後でかけなおすことにした。
晩ごはんを食べ終わって息子がお気に入りのアニメを見はじめたので、今がチャンスと思い折り返しかけなおした。久しぶりだし、滅多なことでは最近は電話などしてこない人なので何があったのかと思うと、やはりあれこれ込み入った話。
そのうちに子どもの声が聞こえ始める。どうやらアニメの1話が終わってしまったようである。

「ねえー、とうさんどこにいるのー?」
「テレビもいっかいみる!」
「ねえ、とうさんいっしょにみようよ」

「ごめんね、ちょっと待ってて、父さん今電話してるから」

「そうじゃない、ぶどうゼリー食べたい、長いぶどうゼリー食べる」
「ごはんじゃない、ぶどうゼリー!」

「あのさ、父さん今お仕事の電話してるからちょっとまっ。。。」
「ぶどうゼリー!」
「おしっこしたい!おしっこ!」

そのうち電話の話も全く耳に入らなくなり、すみませんがちょっと無理なんでまた後で、と言って電話を切った。
全くどうしてこうなるのか、と思わず子どもにきつい言葉を投げてしまいそうになったが、これは完全に自分の選択ミスである。

子どもと一緒に過ごす時間に仕事絡みの電話に出ることは、今の状況ではかなりリスキーであることを忘れていた。
子どもとしては一緒にいるのにどうして自分を放っておいて電話なんかしてるんだ、ということになるのだろうが、それはもっともな話である。息子よごめん、そして先方にも申し訳ないことをしてしまった。
こういうことは時折起こるが、それは自分にとっての優先順位を決められなかった大人の責任である。
解決策はひとつ。電話には出ない、それだけだ。
実際、子どもを優先する時間を決めて、その間はなるべく仕事をしないと決めてからは、そういうストレスはずいぶん減らすことができた。そのぶんの皺寄せはもちろんたっぷりくるわけだが、育児と別の仕事を同じ時間軸の中で進行させるのは自分にとっては至難の技だ。物事が思うように進まないイライラも募って自分の機嫌も悪くなるし、それが子どもに反映されてますますいうことを聞かなくなるという悪循環に陥ってしまう。こうなるともう誰も知らない遠い国に行ってしまいたくなることは間違いない。
仕事をしながら育児をしている方は皆同じようなジレンマに悩まされると思うが、育児に無駄な時間など存在しないのである。子どもと向き合う時間は、他のどんな大切な仕事とも代えられない価値がある。みんなが当然にそう思えるような世の中になれば、きっと子どもも大人も、もう少し気持ちが楽になるのかもしれない。

そんなわけで、今年は息子と、そして自分にとっても人生初のハロウィンの真似事をしてみた。
自分が子どもの頃にはハロウィンなんてものはなかったのでどうしたものかと思っていたが、運良く近所のお友達の家に「Trick or Treat」を言いに行く機会に恵まれた。アニメで見ていた「Trick or Treat」をすることができ、お菓子を手に入れた息子は満足気だった。
帰り道に紙で作ったとんがり帽子を被せて近所の商店街を歩いていたら、カフェの店員さんがクッキーをくれた。息子はクッキーが大好きである。開けてみると、それはお店で焼いたと思われる手づくりのものだった。
「ほう、手づくりのクッキーだね」と言って一緒に食べると、やはりそれはおいしかったらしく、息子はそこで「手づくり」という新しい言葉を覚えてしまった。世の中には手づくりのクッキーとそうではないクッキーがあることを知ってしまったのだ。それ以降「手づくりのクッキー食べたい」とよく言っているが、手作りの方がおいしいとは限らないという現実があることも、いつか知ることになるのだろう。
前に何かで書いた記憶があるが、「おふくろの味」「手づくり」などというものは、完全な再現性がないからこそ価値がある。そんなことを考えていると、音楽も同じようなものかもしれないと思う。ライブは毎回全く同じということはなく、その時その場所だけのものだ。だからこそ、その時の印象を僕たちはずっと胸に刻んでいるのである。育児もその時、その場限りのクリエイティブな仕事だ、とあらためて感じている。

(by 黒沢秀樹)

『できれば楽しく育てたい』黒沢秀樹・著 おおくぼひでたか・イラスト

本連載が電子書籍になりました。世界13か国のAmazonで好評発売中!スマホやパソコンでお読みいただけます。

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
ホテル暴風雨は世界初のホテル型ウェブマガジンです。小説・エッセイ・漫画・映画評などたくさんの連載があります。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter>

 

スポンサーリンク

フォローする