また子どもにシールを貼られた。
4歳半になった息子と日々向き合っていると、子どもならではの困った行動や言動の中にも、様々な疑問や気づきがある。
どういうわけか子どもはシールが大好きだ。放っておくとあらゆる場所をシールだらけにしてしまうので、シールに目覚めた2歳くらいの頃から場所を決めてそこに貼ってもらうことにしていたのだが、これはトイレトレーニングの時にずいぶん役に立ってくれた。自分でトイレを済ませることができたら、トイレの扉に貼った紙に好きなシールを貼っていい。そのことがとても楽しかったらしく、おかげで息子のトイトレはほとんど苦労をすることなく終えることができた。
子どもがどうしてシールを貼るのが好きなのかは様々な見解があるようだが、どうやら自分で何かをすることができる、という達成感を得るために最も適したものだから、ということらしい。
一体何が面白くてそんなにペタペタ貼りまくるのかさっぱり理解ができなかったが、そう思うとちょっと納得できる気もする。
シールを貼るということは、子どもにとって自分の力で何かを成し遂げるということなのである。
そう思うと多少困った場所にシールを貼られたとしても、叱るよりもまずその成果を認めてあげた方が良いのではと思う。
自分の子ども時代を振り返ってみると、確かにシールを貼っていた。箪笥にゴシゴシとこすると転写するシールを貼って叱られたりもしたし、今でも実家の電源コンセントのカバーに残っているフォルクスワーゲンのエンブレム、これは確かに自分が貼ったものだ。この時は、なるべくズレがないようにカッコよく貼ろうと時間をかけて丁寧に行った記憶がある。
子どもは初期段階のただひたすらシールを台紙からはがして貼るという行為から、どう貼るか、何のシールを貼るか、ということに徐々に内容が発展していく。そこには子どもそれぞれの個性が出るわけで、ひとつの自己表現と言っても良いかもしれない。
そんなわけで自分の着ているセーターやTシャツにシールを貼られまくるという事態が年に数回起こるのだが、この週末はさらにかけていた眼鏡のレンズにまでシールを貼られることになった。そしてシールだらけになったセーターを指差し、
「シールまみれ!シールまみれー!」
と言いながらはしゃいでいる息子はなにしろ楽しそうなのでされるがままになっていたが、正直困ったことではあり、心を無にすることが求められる状態である。
そこで、これはお絵かきや塗り絵、突然歌い出す謎のオリジナルソングと同様に、子どもの作品のひとつとして考えてみることにした。
作品として捉えるなら、何かタイトルがあっても良いかもしれない。ボーダーのセーターと電車たちのシールのコラージュである。セーターのラインが線路のように見えなくもないが、残念ながら一両としてそのレールに沿って走っているものはいない。
「涙の乗車券」というタイトルが頭に浮かんだ。
(by 黒沢秀樹)