「おい、金を出せっ!金を出せーっ!」
4歳の息子のお友達がアニメなどで知ったであろう悪役のセリフを覚えて迫ってきたらしい。
外食をした帰り道に息子と歩いていたらその養育者にばったり出会い、この時のエピソードを「この前、とってもかわいかったんですー」と話してくれた。
これはよくあることで、最近息子もよくヒーローや悪役の真似をしている。(もちろんほとんどの場合は父が悪役になることを強いられる)そこに割って入った息子が言ったのが、
「ねえねえ、違うよ、『お金くーださいっ!』でしょ?」
というものだったらしい。
これは確かにかわいらしいエピソードで、ちょっといい話みたいではあるが、これをきっかけにまたしてもいろんなことに考えを巡らせてしまった。
「金を出せーっ!」というのは泥棒やならず者などの悪役の言葉であって、お友達は遊びのひとつとしてその役に好奇心を持って真似をしている。しかし息子はそのこととは別に「お金くーださい」とかわいく丁寧に言った方が実際にもらえる可能性が高い、という現実的な提案をしたわけで、そもそも根本的なテーマにすれ違いがあるのだ。
悪者やならず者に対して、お金が欲しいなら「ください」とかわいく言った方がいい、というのはそもそもだいぶお門違いな話である。万一現実にそんなことになったらぶっとばされてもおかしくないわけで、正しい選択とは言い難い。
たとえば今回の「金を出せ事件」の場合は、自分と息子がこのような会話を日常的にしていたことがその要因だと思われる。
「みずー!みずー!」
「水がどうしたの?水が飲みたいってこと?」
「水飲む」
「そういう時は『おみずくーださい』ってかわいく言った方がいいと思うよ」
「おみずくーださいっ!」
「そう、そう言ってくれたら父さんわかるよ。はい、どうぞー」
「あれ?もらった時なんて言うんだっけ?」
「ありがとうー」
「どういたしましてー」
こうしたやりとりをするのは正直面倒ではあるが、息子の未来にとって大切なことだと考えているからだ。
自分のような昭和世代には、男は余計なことはベラベラ喋らず黙っている方が良い、父親は背中で語るものだ、というような風潮がかなりあったように思う。
しかし、父親が帰ってくるなり「メシ」「フロ」「酒」などと最小限の言葉しか発しないのはいくらなんでもハードボイルド過ぎだし、控えめに言ってもそんな父親が生存できるサンクチュアリは今の時代にはほとんど存在しないのである。
そしてもし自分が「水」と不機嫌に言い放つことで、家族の誰かが水を持ってくるのが当然だという環境なら、きっと子どもも同じことをするだろうし、そんなハードボイルドな子どもが誰かにかわいがられる可能性は限りなく低くなることは間違いない。
自分はかわいいとおいしいがあればなんとかなる、という言葉を信条にしているが、ことさら子どもにとってそれはなにより必要なものだと思っているし、かわいいというのは「好感度が高い・感じが良い」などと言い換えることもできると思う。
たとえ「お水ください」と同じ言葉を使ったとしても、その言い方や態度で相手への伝わり方は大きく違う。コミュニケーションは言葉だけでなく、実はその表情や態度の方が相手に伝わる情報量は大きいのである。
「いいよ」と言ったにせよ、養育者が投げやりでそっけない言い方をすれば、その奥にある感情を子どもは敏感に察知する。その結果、喉が渇いてもそれを伝えることに不安や恐怖を感じて躊躇してしまうかもしれない。これは健全なコミュニケーションとは言えないだろう。そんなわけで、
「今忙しいから、ちょっとだけ待っててくれる?」
「痛いから顔にパンチはしないで」
「そんな言い方をされるのはイヤだし、父さんは好きじゃないです」
などと、ポジティブでもネガティブでも自分の気持ちや感情をしっかり伝えるように心がけたいと思っている。子どもでも親でも機嫌が悪かったり疲れたりすることはあるわけで、それ自体が悪いことではない。いつでもやさしく楽しくしていられるような神様のような人はいないし、子育て中なら尚更である。だからこそ、気持ちは素直に伝えても大丈夫だという土台を自分が持つこと、その伝え方のレパートリーを増やして、なるべく子どもにわかってもらえるような努力をしたいと思っている。
そしてこの「おい、金を出せ!」とお友達に迫られた時の息子の応答はたしかに面白いが、
「なにー?!そんな悪者に渡すお金などないぞ!必殺技を受けてみろー!」
みたいな感じがよりかわいいのではないだろうか。正解はわからないけれど、それは遊びの中で子どもが見つけ出して欲しいと願っている。
(by 黒沢秀樹)