あっという間に月日が流れ、子どもが5歳の誕生日を迎えた。自分も養育者として5歳になったことになる。
当初3ヶ月の予定だったこの連載がここまで続けられたのは自分でも信じられないが、このノートを遡るとさまざまなことが思い出される。ここがなければきっと今頃ほとんどが忘却の彼方であったことを考えると、書き残すことができて本当に良かったと思う。続けられたのは編集の風木一人さんと読者のみなさん、そして何より息子のおかげである。心から感謝の気持ちを送りたい。
先日、5歳の誕生日のプレゼントに好きなおもちゃを選ぶためにデパートのおもちゃ売り場に出かけた。ボロボロになるまで見ていたトミカのカタログの他にもたくさんのおもちゃがあることを知ってもらい、本当にそれで良いのかを決断してもらうためだ。
あれこれ迷った結果、外でも遊べるオフロードタイプのラジコンカーに落ち着いた。自分も子どもの頃に欲しくて仕方がなかったもののひとつだが、そのころはまだラジコンは高嶺の花で、有線でコントローラーがつながっているものしか買ってもらえなかったのを覚えている。それは大人になっても満たされなかった欲求として残り、だいぶ大人になってからアルピーヌのA110というスポーツカーのラジコンを買って塗料や工具やらも大人買いして完璧に作りあげたのを覚えている。それをしたことで自分のラジコンへの思いは成就し、もう心残りはないが、かなり高くついた記憶はある。そのくらい子どもの頃に欲しかったものというのは大人になっても心に残っているものなのである。
それを考えると今の子供たちのラジコンはすごい。なんと室内用のヘリコプターやドローンまである夢のような時代である。見ていたらすっかり自分が夢中になってしまい、思わず買ってしまいそうになった。
息子がもともと欲しいと言っていたトミカの警察署のおもちゃと最終的に迷って決めたものだが、値段は子供用のラジコンの方がかなり安くてホッとした。ものの値段やお金の価値についてまだ実感のない子供にとっては、値段というものが判断基準には入らない分、自分の欲求に忠実なのである。
大人は値段の付け方によってかなり判断基準が左右されてしまい、安いと思うと特に必要でもないものを買ってしまったりするわけだが、これは巧みなマーケティング戦略に見事に乗せられてしまっているとも言えるだろう。子どもの行動を見ていて「それ、本当に欲しいの?」と何か買い物をする時に自分に言い聞かせようと思っている。
さらに仲良しのお友達を呼んでささやかな誕生会をしようと、バースデーディナーのリクエストを聞いてみた。
「ねえ、明日は誕生パーティーだから、大好きなものなんでも父さんが作ってあげるよ。何が食べたい?」
「えっとねえ・・・塩ラーメンっ!」
「し、塩ラーメン!?塩ラーメンでいいの?」
「うん、塩ラーメン食べたい」
「そっか、じゃあエビとか卵とかいっぱいの特別なのにしようか?」
「何もいれないのがいい、ばっかり(麺だけ)のやつ」
いくら好きな食べ物とはいえ、たまに休日のお昼などに一緒に食べている袋の即席ラーメンを、わざわざ誕生日の夜に、しかもお友達まで呼んで食べたいというのは正直不意をつかれた。
誕生日の夜に袋の素ラーメン。これではまるで昭和の不憫な子どものようである。ただ、本当に食べたいという自分の気持ちを素直に表現できることは素晴らしいことである。
そしてケーキのリクエストは
「いちごとクリームのやつがいい。だって◯◯ちゃん(仲良しのお友達)はクリーム大好きでしょ」
とのことだった。自分のことよりもお友達の好みに合わせて選択をするというのはかなり素敵だと思う。誰かの気持ちを自然に想像できるというのは、大人になってもなかなか出来ることではない。どんな高級食材やご馳走よりも、思い出に残る食事というのはある。そこには値段がつけられない。もちろんプレゼントやケーキ、大人の食事も用意はするが、ちゃんと素ラーメンも作ってあげようかと思う。
5歳の誕生日までは続けると決めたこの連載だが、この中で学んだことをベースに、もう少し子育てに役立つ形にまとめてみたいという気持ちにもなってきた。まだまだ書きたいことはこれからもたくさん出てくると思うが、ひとまずこれまでのまとめと書籍化に向けての作業を進めていこうと思っている。
ひとまずみなさん、ありがとうございました!
(by 黒沢秀樹)