ついに到来か?「イヤイヤ期」を考える。

イヤイヤ期が来た

「イヤイヤ期」とは育児に携わる人たちにとってはよく聞く言葉だ。
その名の通り、何をしても、どんな些細なことでも、予想のつかないタイミングで子どもが拒否権を発動する時期のことをいうらしい。
この時期が自分の子どもにいつ到来するのかドキドキしながら日々を過ごしていたが、もしやこれが世にいう「イヤイヤ期」なのであろうか、と思うようなことが最近頻発している。
ベビーカーに乗せようとするとオーティス・レディング並みのシャウトをしながら体をのけぞらせて拒否し、お気に入りのアニメを見ている時に何か他の事をさせようとすると絶叫、もう寝る時間だよとテレビを消すと絶叫、ぴちぴちと跳ね回るその動きはまるで一本釣りで釣り上げられたばかりの鮮魚のようでもあり、その状態で抱きかかえると昔のハトヤのCMそのものである(例えが古くてすみません、関東エリアで育った50代なもので)。

自分も含め養育者の多くはこの「イヤイヤ期」を育児にまつわる最も恐ろしい苦行のようなものとして認識しており、その対処法に悩んでいるようだ。ともすると養育者自身が育児イヤイヤ期に突入してしまう可能性もあるわけで、これは大きな社会問題のひとつであると言ってもいいだろう。国や行政は「イヤイヤ期特別対策本部」の設置を検討して欲しいとさえ思う。子育てをしていて実感したことのひとつは、本当に支援が必要なのは子どもよりもまずは養育者の方だ、ということである。

実はこのノートを書き始める直前にも寝かしつけのためにテレビを消したら全盛期のリトル・リチャードばりにシャウトされていたわけだが、ちょっと調べてみると発達心理学の世界ではこの「イヤイヤ期」を「第一次反抗期」と呼び、いわゆる思春期に到来するものを「第二次反抗期」と呼ぶらしい。
様々な角度から物事を考えて検証し、言葉としても定義してくれている専門家の方々の知識は自分たちにとってとても助けになるし、これを子どもが生まれる前に教えてもらえていたら、向き合い方にも相当な差が出るのではないかと思う。イヤイヤ期に第三次や四次があるのかは知らないが、そんな先人たちへの敬意を込めて、どうせならばこの時期を「イヤイヤ期」というネガティヴな呼び方ではなく「第一次反抗期」と呼ぶ方が余程いいのではないかという気がする。

イヤイヤ期と反抗期

子どもが生まれるまで自分の知っていた「反抗期」というのは、いわゆる思春期に親や自分を取り巻く社会と対峙するために起こるアイデンティティーの拡散と収束の過程であり、歌の世界でいうなら誰にも縛られたくないと盗んだバイクで走り出したり、幸せは誰かが運んでくれると信じて大人の階段登るシンデレラだったりもしたわけだが(さらに例えが古くてすみません)、「イヤイヤ期」とはまさにその原初の行動であり、子どものアイデンティー、自己同一性の確立に向けた第一歩だと考える事は出来ないだろうか。

そもそも、誰かに「イヤ」だと言えるという事は、自分と他人の間に境界があることを知り、その上でコミュニケーションを取れるようになるために必要不可欠なものではないかと思う。乳児の頃はまだ自分と他人(主に親や養育者など)との区別がついていないので、反抗も拒否も出来るはずもなく、ただひたすら本能的な欲求のために泣いたりしてそのシグナルを出すわけだが、物心がついてくると人見知りや拒絶という反応を示すようになるらしい。

物心、というのは辞書によれば「世の中の物事や人間の感情について理解できる心。分別」とあるが、確かにそれがなければ「イヤ」という気持ちを伝える事も出来ないだろう。「イヤ」と言えるという事は、逆に考えれば誰か自分とは違う人間に「理解してもらいたい」ということと同じなのである。この時期に「イヤ」と思い切り言える養育者との信頼関係が結べるかが、この先の子どもの人生に大きな影響を与える事は容易に想像できる。

最近よく男女の生物学的な違いから生まれるすれ違いやものの考え方の傾向について書かれた本を見かけるが、女性は感情で、男性はロジックで物事を理解しようとする傾向があるのは確かだと思う。
女性にとっては「イヤイヤ期」の方が感情的に入ってきて理解しやすいのかもしれないが、なんだかネガティブなイメージが強いし、客観性と公平性に欠ける気がするのは自分が男だからだろうか。同じことでも言い方の違いを表す例としては、

「うちの子イヤイヤ期でもうホント無理!ダメって言うとわざとやったりするし、もうどうしていいかわかんない!」

「いやあ、子どもがようやく第一次反抗期に入ったんだけど、あれこれ手に負えないことをするのでどうしたもんかと」

のようなことになる。結果、

「人ごとみたいに言ってんじゃねえよ!」

「いや、現実的にこの時期を乗り越える最も適切な方法を見つける努力をしなくちゃ、と言ってるんだけど」

という会話が聞こえるような気もするが、そこにこそ相互の思いやりと理解、「物心」が必要なのではないかと思う。
子どもに物心がつく前に、まずは養育者が他人の気持ちを慮れる、分別のある大人にならなくてはいけないのだろう。

この先の「第一次反抗期間」に果たしてどのようなことが起きるのか、しばしノートを取ってみようと思っている。ちなみに息子はまだ「イヤ」という言葉がうまく使えず、全て気に入らない事は「バイバイ」で済ます「バイバイ期」である。
みなさんからのご意見やメッセージ、対処法などもいただけたらとてもうれしい。

(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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