前回まで私は、祖霊崇拝には自分の存在を〈先祖−子孫〉の世代の連鎖の中に同一化し、主観的に自分の存在を永遠化すると言う意味があり、そうすることによって、死による自分の消滅の恐怖に対抗することが出来るのではないかと言う考えを述べた。
そして、それが宗教の一つの重要な役割ではないかという仮説を述べた。
しかし、言うまでもなく、祖霊崇拝を行なわない宗教はたくさんある。そのような宗教においては、この仮説はどうなるのだろうか?
まず、日本人にとって最も身近な世界宗教である仏教はどうだろう。
日本の仏教では、盆や彼岸など、祖霊を迎える行事が重視されるが、もともとの仏教にはこのようなものは無い。柳田国男によれば、仏教が日本に広まる間に、日本古来の祖霊崇拝の伝統を取り込んだもののようである(柳田国男「先祖の話」)。
そもそも仏教では、人は死ねば、また他の人間あるいはその他の動物として生まれ変わることになっている(「超訳文庫」に収録されている仏教説話にもこのような例がある)。
現世における出来事の原因は前世における行いにあり、また、現世の行ないの報いは、来世の自分に返ってくる。いわゆる「因果応報」の思想である。
このように輪廻転生を大前提とする宗教を信じる限り、死による自分の消滅などは考える必要が無いだろう。自分の存在は、人間以外の動物まで含んだ巨大な輪廻転生の輪の中に含まれているのであり、自分のいない世界などは無い。逆にいえば、自分などと言うものは考えなくてよいのかもしれない。ましてや自分の家の先祖や子孫に同一化する必要など全くないだろう。
ただし、輪廻の輪の中にいる限り、人(およびその他の動物)はこの世の様々な苦しみから逃れられない。自分の存在が消滅しないから安泰、と言う思想ではないようだ。
日本の仏教では、阿弥陀様の力で誰でも成仏して極楽浄土へ行けるそうであるから、自分の存在の永遠性は保証され、この世の苦しみからも解放される。
もっとも、このあたりの考え方は、宗派によっても違うのかもしれない。仏教に詳しい方に教えていただければ幸いである。