心・脳・機械(27)単純化と飛躍(後)

「自分の行動に対して、褒められたり報酬を与えられたりすると、中脳のドーパミン細胞が活性化されて、ますますその行動を増やすようになります」式の「脳科学的な」行動の説明を聞くと、「へー」と感心する一方で、「そんなに単純なものかよ」という疑いの気持ちが起こってくる人も多いのではないだろうか。
もちろんその反発の一部は、「脳があなたの行動を決めているのです」vs「私の行動は私が決めているのだ」という不毛な対立のせいでもあるのだろうが、説明が単純すぎるというのも事実だろう。
じっさい、心理学の世界では、報酬を与えることが行動の強化につながらない例も1970年台から広く知られているし、それに関連する脳活動の変化も最近報告されている。

もちろん、「ドーパミン細胞の働きで云々」というのも、きちんとした実験事実に基づいた話なのだが、その実験状況が、必ずしも私たちの暮らす現実世界の様々な状況をすべては反映していないということだ。
実験科学には、誰が見ても納得できる「客観性」と、誰でも(必要な設備と材料があれば)同じ結果を出せる「再現性」が求められるので、どうしても実験内容は単純にならざるを得ない、という話を前回書いた。
では、この実験室内の「単純な」話と現実世界の「複雑な」話をどうやって繋げば良いのだろう。

一つには、臨床的な知見があるだろう。臨床研究(神経心理学)は、脳研究の一つの源流といっても良い、歴史のあるものだ。偶然の事故で前頭前野の内側部や腹側部に大きな損傷を負った患者さんが、計画性が無くなったり、感情が抑えられなくなったりする。ということは、この脳領域(のうちのどこか)は、合目的的な行動プランや感情の抑制に関係あるのだろうと考える。実験室内の実験で、さらに前頭前野内側部や腹側部のうちどの部分がどんな行動に関係するかを調べることで、脳内の神経メカニズムが明らかになる。

二つ目として、これは当たり前と言えば当たり前なのだが、実験を行う際に、実験状況をうまくデザインして、現実の状況のエッセンスを綺麗に取り出せるようにする。これは研究者の感性にかかっている。
実例を出すとわかりやすいのだが、長くなるのでやめておく。この連載でも、いくつか優れた実験用行動課題を紹介したので、興味のある方はご覧になっていただきたい(心・脳・機械8回「物忘れと前頭前野」電車居眠り夢うつつ37回「カテゴリー化の本能」)。

私の知り合いの研究者にAさんという人がいたが、彼は実に巧みな行動課題を考案し、しかも一見難しそうな課題を上手にサルに訓練することで知られていた。もう一つ彼の優れた点は、たくさんの神経細胞の活動を調べたことだ。前回書いたが、普通の研究者が一つの研究である脳領域で調べる細胞の数は100~200だ。300を超えると、「多いなあ」という感じ。だが、Aさんはいつも1000個くらいの細胞活動を調べていた。これくらい調べると、脳内の「少数派」の声も聞こえてくるのだ。

だが、そこまで頑張ったとしても、しょせん実験室内で、サルがパソコン画面の前にじっと座って、コンピューターゲームのようなことを毎日繰り返し繰り返し行なっているときの神経活動である。そんなことで自然な脳の働きがわかるか、という意見もある。
Bさんはまさにその急先鋒で、サルをあまり訓練せず、比較的自由に行動させながら、最新技術を使って大量の神経活動を記録し、事後的に行動と神経活動の関係を探るという方向に進んだ。

ちょっと裏話をすると、二人は実は同じ名門研究室の出身、いわゆる同門である。Aさんは伝統を受け継ぎながらさらに発展させる主流派、Bさんはいわば反逆児で、方向性は異なるが、どちらも研究業績は素晴らしかったので、二人とも日本の高次脳機能研究の牽引役になるのだろうと思われていたのだが、残念なことに二人ともすでに研究の世界を去ってしまった。
それぞれ別の世界でご活躍のようであるが、こういう優秀な研究者が研究の現場から去ってゆくというのは、日本の科学にとっては悲しいことである。そして、私などがいまだによろよろと研究を続けているのだから、世の中うまくいかないものである。

【追記】
Bさんは文筆活動も行なっていた。「つながる脳」で毎日出版文化賞を受賞した藤井直敬さんである。

つながる脳 藤井直敬

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(by みやち)

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