祟りの話は、もうやめようと思っていた。
私は今、アメリカへ出張するため、エアバスA330のエコノミークラスの座席に座り、太平洋上空を東に向かって飛行している。
彼の国では2日前に大統領選挙があり(注1)、結果は皆さんご存知の通りである。新聞でもテレビニュースでも繰り返し繰り返し取り上げられ、「有識者」や「専門家」の意見が繰り返し繰り返し報道されている。
イギリスのいわゆるBrexitとあわせ、いわゆるエスタブリッシュメント、一部の金持ち階級に対するそれ以外の人々の怒りが投票行動に表れた、と言うのが大方の意見のようだ。たぶんそういうことなのだろう。
最近あまり耳にしないが、アメリカの上流階級を指す言葉に、WASPと言うのがあった。White Anglo-Saxon Protestantの頭文字をつないだ言葉だ。たぶん、近年WASP以外のさまざまな出自の人々の台頭が著しいために、あまり言われなくなったのだろう。
アメリカの上流階級にはアングロサクソン以外のさまざまな人種が参入し、プロテスタント以外の宗教の人、信仰を持たない人も増えた。だが、人種や宗教を超えて、WASPの資本主義の価値観は受け継がれているように見える。
資本主義社会においてプロテスタントが指導的役割を果たすと言うのは、アメリカが台頭する以前からの伝統らしい。
マックス・ウェーバーによれば、資本主義はプロテスタンティズムの精神的、倫理的背景から生まれてきたものである。
今手元にテクストが無いので正確な引用は出来ないが、プロテスタント教会が世俗の経済活動を神への奉仕の方法の一つとして認め、さらに経済活動の結果としての蓄財も認めたため、敬虔なプロテスタントたちはこぞって、宗教的な情熱を持って商業活動に励んだ。
また、神の御心にかない天国に迎えられる者はすでに決まっているが、自分がその中に含まれるかどうかは、仕事において(神の助けにより)成功するかどうかで判断するしかないという予定説の思想も、プロテスタントたちを商業活動に駆り立てる要因となった。
商売で成功し富を得ることが、すなわち死後に天国に行く保証ともなるのである。
20世紀の間に、敬虔なキリスト教徒の数は、アメリカでもそれ以外の国でもかなり減ったと思われるが、このプロテスタンティズム—キャピタリズムの思想は、キリスト教から離れ、独自に発展し続けた。むしろ、キリスト教という宗教から離れることで、世界中に広まることが出来たのだろう。
だが、現代の資本主義エリートたちの持つ、勤勉で誠実である一方、独善的で不寛容といった特徴は、たしかに一神教的な匂いがする。
そして、彼らは宗教的な情熱、一神教的な厳しさを持って経済活動と政治活動に励み、自由競争、あらゆる物の自由な市場取引、グローバル化等々、資本主義的な正義を極端に押し進めた。
その結果、「最も豊かな1%が世界の富の半分を持つ」と言われるまで経済的格差が拡大した。
その正しさについて行けない多くの「敗者」たちの恨みは募り、とうとう祟りが始まった。私にはそのように思える。
(※注1 当稿執筆は11月11日)