最近気になる吊り広告があった。某クレジットカードの広告で、キャッチコピーは「〇〇カードじゃないあなたは損してる」というものだ。
いつ頃からだろう、テレビコマーシャルその他の広告で、「〇〇なあなたは損してる」というキャッチコピーが目につくようになったのは。
〇〇カードを使わない、あるいはどこそこのサイトで買い物をしないと「損をする」というのである。それほど昔からではないと思う。ここ数年のことではないだろうか。それ以前は、いや、今でも多くの広告は、「うちの商品やサービスは良いですよ」あるいは「安くてお得ですよ」と言うパターンだ。「他にも色々あるでしょうけど、うちのが良いですよ。うちのを使ってくださいな」。これは宣伝として当然だろう。
だが、「うちのを使わないと損してる」と言われると、あまり良い気分はしない。私が電車で見たクレジットカードの広告など、「損してる」というキャッチコピーの下では、若い女の子が泣いていた。こんな写真を見せられると、なんだか自分がイケナイことをしているような、申し訳ない気分にさせられる。
確かに、資本主義の原則から言えば、利益を最大化することが善であり、そのチャンスを逃すことはイケナイことかもしれない。でも、私は利益を最大化するために生きているわけではないのだ。
もちろん私だって、得をすると嬉しい。自販機でジュースを買って、当たりが出てもう1本もらえたら、(たとえ飲むつもりがなくても)ちょっと嬉しくなる。でも、得をしなければイケナイと言われるのははっきり言って心外だ。「余計なお世話だ」と言いたくなる。
何をしちめんどくさいことを言っておるのか、と思われるかもしれない。だが、これはひょっとすると、ちょっと怖いことかもしれない。何しろあらゆる組織団体で「合理化」や「コスト削減」、「無駄の撲滅」が錦の御旗になっている今日この頃である。今はまだ損をすることは「イケナイこと」と冗談めかして言われているだけだが、このまま行くとそのうち、損をすると本気で怒られ、果ては村八分になったりする時代が来るのではないだろうか。
そこまでいかなくても、就職活動中の学生が会社の面接で、「自分がいかに得してきたか、損を避けてきたか」をアピールするようになったりしたら、かなり嫌な世の中である、と私は思う。
きっとそういう時代になったら、こんな私の文章を載せたホテル暴風雨にも抗議が殺到して炎上してしまうだろう。「暴風雨炎上」って、訳がわからないけどすごく怖そうだ。