「子曰く、君子の天下に於けるや、適(てき)も無く、莫(ばく)も無し。義これとともに比す。」 (里仁 十)
――――君子が公の立場にあるときは、無条件に誰かの意見を良しとすることもなく、無条件に誰かの意見を退けることもない。理にかなっているかどうか、それを判断基準とする。「適」は肯定、「莫」は否定、「比」は従うこと。――――
論語は、孔子の死後、弟子たちが孔子や何人かの孔子の高弟たちの言行をまとめたものだ。「孔先生の思い出」的な色彩も強い。したがって、書いてある言葉が全て役に立つ訓話や警句とは限らない。(「学びて時に之を習う、またよろばしからずや」と言われて、勉強嫌いが治る人がいるだろうか?)
その中にあって、この節の言葉は論語の中でも最も役に立つ言葉の一つと言って良いと思う。
「天下に於けるや」などと言われると、随分大きな話のようだが、人が三人集まれば、これ天下である。PTAや町内会だって、立派な天下だ。
「あの人には世話になったから賛成してあげよう」、「あの人を怒らせると怖いから反対せんとこう」ではいけない。また逆に、「あいつには前にひどい目にあったから今度は邪魔してやろう」とか、「あいつはみんなの嫌われ者だから、言うこと聞かんとこう」ではいけないのである。あくまで義に従って判断する。
これはある意味では楽なことである。誰から文句を言われても、これは「私」の判断ではない。自分は「義」に従っているだけなのだ。「文句があるなら『義』に言ってくれ」なのである。
そうは言っても、結局文句を言われるのは「義」さんではなく、人間である自分なのだ。
不必要に事を荒立てないためには、「礼」をもって丁寧に説明し、損をする人には「仁」の心でいたわらないといけない。そんな事をしていると、時間ばかりかかる。やっぱり君子は辛いのである。
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