「子、大廟に入りて事毎に問う。或る人曰く、誰か鄒人の子、礼を知ると謂えるか。大廟に入りて、事毎に問う、と。子、之を聞きて曰く、是れ礼なり、と。」 (八佾 十五)
――――孔子が王の先祖を祀る大廟の儀式を任された時、あらゆることについて先輩に質問した。それを見ていた人が、「鄒から来た奴(孔子)が礼法を知ってるなんて、誰が言ったんだ。何でもかんでも人に聞いてるじゃないか」と言った。孔子はその話を聞いて言った。「それ(慎重に確認すること)こそが礼儀なのだ」――――
礼法に詳しいと有名になった孔子だったが、初めて重要な儀式を任された時はさすがに緊張したのだろう。先輩の役人に、手順をいちいち確認したようだ。慎重といえば慎重、小心といえば小心である。そんなことをすれば、「礼法に詳しい」という評判に傷がつきかねないことは、本人も分かっていたはずである。
だが彼は、格好をつけることより、失敗をしないことを選んだ。案の定、嘲笑の声が聞こえてきた。それを黙って聞き流さず、「是れ礼なり」と言い返すところが、人間味というものであろう。
さて、時代は下って西暦2000年、東海に浮かぶ島国、日本。
当時の内閣総理大臣、森喜朗氏は、君子であり、また多能であることでも知られていた。とくに英語に堪能であり、党内では宮沢喜一の再来と囁かれることもあった。
その森氏にとっても、九州沖縄サミットの議長を務めるのは大役であった。米国のクリントン大統領を出迎える前日、首相は秘書官に尋ねた。
「最初の挨拶はどうすれば良いかね。」
もちろん首相は英語は得意なのであるが、君子としては慎重の上にも慎重を期さなければならないのだ。
秘書官は答えた。
「大統領はざっくばらんな方ですから、気取らずに “How are you?” とおっしゃるのがよろしいでしょう。大統領はおそらく、”I’m fine thank you, and you?” と言ってくるでしょうから、ここも簡単に、”me too” とおっしゃればよろしいでしょう」
さて、出迎え当日、Air Force Oneのタラップを降りた大統領に対し、首相は予定通り “How are you?” と語りかけた。だが、折悪しく朝から痛み出した親知らずのせいで口がうまく回らず、 “Who are you?” としか聞こえなかった。
大統領は困惑した。大統領専用機から手を振りながら降りてきた中年男性に向かって、 “Who are you?” とはどういう意味か?
0.3秒ほど考えた末、これはジョークであると結論した大統領は、自分もジョークで返すことにした。 “I’m husband of Hillery Clinton.”
だが、親知らずの痛さに気を取られ、首相は “I’m”以下がうまく聞き取れなかった。しかし、聞き返すのは失礼にあたる。首相は予定通り、 “me, too.” と答えた。
慎重に準備をしても、間違いは起こるのである。君子は辛いのである。
(※おことわり:今回の後半の物語はフィクションであり、実在の人物、団体等とは一切関係ありません)