なにわぶし論語論第46回「益する者の三友あり」

孔子曰く、益する者の三友あり。損なう者の三友あり。直(ちょく)なるを友とし、諒(りょう)なるを友とし、多聞(たもん)なるを友とするは、益するなり。弁辟(べんへき)なるを友とし、善柔(ぜんじゅう)なるを友とし、弁佞(べんねい)なるを友とするは、損なうなり。(李氏 四)

――――孔子の言葉。自分のためになる3タイプの友人がいる。また自分を損なう3タイプの友人がいる。気性の真っ直ぐな者を友とする、義理堅い者を友とする、物知りを友とするのは、自分のためになる。追従(ついしょう)を言う者を友とし、表向きだけ良い顔をする者を友とし、口先のうまい者を友とすると、自分のためにならない。――――

孔子説教の真骨頂である。
「益する者の三友あり。損なう者の三友あり。」
何か三つのものを並べて対比するというのは、仏法僧とか、信長秀吉家康とか、話のまとめ方としては定番であるが、定番ということは、誰もが聞きやすい、わかりやすいということだ。今回の場合は、3つの組み合わせがさらに対になっていて、歯切れが良く、格好良く仕上げられている。おそらく中国語で読んでも同様に聞きやすいのではなかろうか。
じつはこのあと数節に渡って、「益する者の三樂あり、損なう者の三樂あり」「君子に侍するに三愆あり」などなど、「三」シリーズが続く。こういう孔子の言葉を読むと、彼はトークの達人だったのではなかろうかと思えてくる。多くの弟子が集まったのも、ただ孔子が博学だったとか、性格が良かったというだけではなく、話がうまかったというのも理由の一つだったのではなかろうか。
まあ、教師なんだから、話のうまさは職業上必要なスキルと言えるのだが、論語を読んでいると、なかなか上手いこと言うな、と思わされる言葉がとても多い。一方で、文字で書かれた文章として読んでしまうと、「格好良い言い方だけど、あてはまらない場合もあるだろう」とか、「前は違うこと言ってたよな」とか、ツッコミを入れたくなることもある。
あくまでも言行録だから、書き下ろしの論文のような論理的構成の緻密さはないのだ。

さて、孔子はそのように弁舌に優れた人だったと思うのだが、弟子に対しては、「君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す」(里仁二十四)「焉んぞ侫を用いん」(公冶長五)など、弁舌の価値を低く見る発言が多い。(今回紹介した節でも、雄弁な者を友とせよとは言わず、むしろ、弁佞なるを友とするは、損なうなりと言っている。)
孔子の話術があまりにうまかったから、彼の話し方の真似をする弟子が多かったのではないだろうか。弟子たちが、話のうまさにばかり注目して、内容を深く考えなくなると困るので、あえて弁舌を低く見る発言を繰り返したのではないだろうか。
でも結局、こういう格好良い言葉が、弟子たちの記憶に残り、論語にもたくさん収録されたわけである。

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