子曰く、歳寒くして、然(しか)る後に松柏(しょうはく)の後れて凋(しぼ)むを知る。(子罕 二十八)
子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。(子罕二十九)
――――孔子の言葉。寒さの厳しい年になると、松などの常緑樹が他の木々よりも後れてしぼむことがわかる。――――
――――孔子の言葉。知者は惑わない。仁者は憂えない。勇者は懼れない。――――
松は真冬でも枯れまへんがな、なんていうツッコミを入れてはいけない。人間の立派さは、厳しい環境に置かれたときに初めて分かる、という例え話だ。
日頃論語の言葉を引用などしてエラそうなことを言っていても、自分が苦境に立たされたときに同じことが言えるのかね君、どうなんだね、と筆者が詰問されているようで、ちょっとドキドキしてしまう。孔子の教えは厳しいのである。
では、立派な人間とはどんな人間なのか。それについて述べているのが次の節である。
何事にも惑わず、憂えず、懼れなくなれば、立派な人間だということだ。人間の理想の境地を惑わない、憂えない、懼れないという三つの要素に分けて、それぞれに必要な徳を挙げている。
十分な知性があれば惑わない。仁(無私、愛他の精神)が備わっていれば憂えない。勇気があれば恐れることがない。結局、知、仁、勇の三つがあれば良いということだ。いや、逆に、惑わなくなるまで知性を磨き、憂いがなくなるまで仁を高め、恐れがなくなるまで勇気を鍛えなさいということだろう。
そんな、惑いも憂いも恐れもないなどという境地に達することがあるのだろうか?
どうもそういうことはないようである。論語の他の箇所(憲問二十八)では、「孔子が君子の道」として、今回と全く同様(順番だけ変えて)「仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼れず」と説いているが、それと同時に「我は能くする無し」すなわち、自分にはできないと言っている。
自分はそこまで到達していないし、おそらく誰にも到達できないかもしれないけれど、そこに向かって努力すべき目標、ということなのだろう。
真っ赤な夕日に向かってダッシュするように。
(by みやち)
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