人間は誰でも、その人なりに物事を感じ、考え、行動している。自分と他人が感じたり考えたりすることが違うということは、ごく当たり前のことである。だが、この「当たり前」のことは、実はそれほど「当たり前」ではないらしい。他人が自分とは違うことを考え、行動することを理解する能力に、心理学者たちは「心の理論(Theory of mind)」という名前を付け、それをテストする方法を考え、さまざまなヒトや動物種についてこの「能力」を調べてきた。テストには、一般的に「誤信念課題」と呼ばれる課題を使う。例えば、以下のような課題である。
「サリーとアン課題」(ウィキペディアより引用)
サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいる。
サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行く。
サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移す。
サリーが部屋に戻ってくる。
上記の場面を被験者に示し、「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すか?」と被験者に質問する。 正解は「かごの中」だが、心の理論の発達が遅れている場合は、「箱」と答える。
多くの子供がこのような質問に正しく答えられるようになるのは、4歳〜6歳くらいで、それより小さな子供は、自分が知っている事実に基づいて他者も行動すると考えてしまう。ヒト以外の動物に心の理論があるかというのは心理学者の論争の的だが、今のところ、チンパンジーには、その萌芽は認められるものの、誤信念課題を完全に理解する能力はない、という説が優勢のようである。つまり、以前紹介したmental time travelの能力と同様、心の理論も、ヒトが新たに獲得した認知能力である。この能力がある御陰で、ヒトは、他者の意図を理解し、交渉し、協力することが出来る。
一方で、この能力があるために、自分の考えが他者に受け入れられないのではないかという不安も生じるのではないか。「サリーとアン課題」では、正解は明白である。アンは、すべての事実を知っているので、ボールの在処を正しく言い当てることが出来る。サリーは知識が不足しているので、間違った行動をとってしまう。だが世の中には、正解がそれほど明白でない(あるいは正解のない)問題がたくさんある。正解がわからない状態で、自分と違う考え方や行動をする人と一緒にいることは、「自分が間違っているのかもしれない」という不安を引き起こす。その不安を取り除くには、「相手が間違っている!」と断じるか、あるいは自分の考えを捨てることが、一番簡単だ。だが、相手の考え方を否定すれば争いが起こるし、自分の考えを捨てれば不満が残る。これは、宗教間の対立のような大きな問題にだけ当てはまることではない。私たちの生活の中で、日常的に起こっていることである。
たとえば、昔私が大学の同級生2人と一緒にある講演会を聞きに行ったときのこと。私にとっては、その講演はあまり面白くなかった。帰り道で同級のAが「なかなか面白かったねえ」と言ったので、私は思わず、「そうか? 何にも新しい話はなかったじゃないか」と(おそらく、はっきりと不満げに)答えた。Aが「Bはどう思う?」と尋ねると、Bは「俺は面白かったな」と答えた。私は急に自信がなくなり、「いや、確かに面白いところもあったけどね」と、歯切れの悪い返事をし、その話はそれきりになった。この時の私も、自分と異なる意見を表明したAに対して、まずは全否定の態度を取り、BがAを支持すると、対立を避けて相手に同意したわけだ。
長くなるので、続きは次回に。