「記録的」とか「ン十年に一度」などという枕詞のついた猛暑が去った。
暑さのせいで蚊がいないというニュースがたびたび流れた。蚊ほどは話題にならなかったが、ゴキの出現も、例年よりだいぶん少なかったそうである。たしかにこの夏は、私の自宅でも職場でもほとんど奴らを見ることがなかった。ゴキ嫌いの私にとっては、大変喜ばしいことである。
だいたい世の中は都合悪くできていて、嫌いなものに限って目に入ってしまうのだ。私が気づかないうちに他の人が見つけてさっさと退治してくれれば良いのだが、部屋の隅をチョロチョロする奴らを一番最初に見つけるのは、いつでもどこでも、たいてい私なのである。そして私が対処することになる。不公平である、と言っても始まらないのだが。
嫌いなものがよく見えるというのはヒトに限らない。
例えばサルは生まれつきヘビが嫌いであると言われる(*)。ある研究によると、サルにヘビとヘビ以外のものの写真を見せて、反応時間を測る実験をすると、実際のヘビを見たことのないサルでも、ヘビを見せた時の反応が早かったそうだ。
一般的に言って、派手で目立つものは見つけやすい。その場合原因は、見つけられるものの方にある。だが、特に派手な色をしているわけでもないヘビが見つけやすいということは、サルの心の側に、ヘビに反応するという性質があることになる。同様に私の心には、ゴキに反応する性質があるわけだ。
さて、嫌いなものによく反応するというのは、人間社会の中で起きる出来事や事件についても言えることなのではないだろうか。
近年、パワハラに関する報道を頻繁に目にするようになった。パワハラというのも、事件として派手か地味かという観点で見れば、そんなに派手な事件ではない。派手さでは、殺人とか宝石強盗とか政治家や高級官僚の汚職の方がはるかに派手だ。だが、パワハラ事件には何か、現代の日本に暮らす我々の心の琴線に触れる何かがあるのだ。
パワハラというのは、どんな組織でも起こりうるが、特に最近はスポーツ界のパワハラ問題が注目されることが多い。一連の事件についての論評を聞くと、「体育会的な伝統」「スポーツ団体の閉鎖性」といった、スポーツ界の特殊性を指摘するものが目立つが、これが本当に特殊な世界の特殊な人々だけの問題だったとしたら、そんなに大騒ぎにはならないのではないだろうか。
現在進行中の個別の事案について外野がとやかくいうことには慎重になるべきだと思うが、例の体操協会のパワハラ問題は非常に興味深いので、少しだけ考えてみたい。
興味深いというのは、あの「事件」には、二つのパワハラが含まれていることだ。一つはコーチによる選手に対するパワハラ。もう一つは、協会幹部によるパワハラである。
どちらも悪いことには変わりないのだが、「世間」が大いに反応しているのは、後者の方である。つまり、同じようにパワハラと呼ばれていても、世間(つまり我々)が敏感になっているのは、師弟という個人的な関係の中での暴力ではなく、大きな組織(の幹部)による個人に対する抑圧の方である、ということではないだろうか。
この件の報道を見ていて、私はふと、数年前に起こった、いわゆるSTAP細胞疑惑のことを思い出した。
長くなるので、続きは次週に。
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*実際にヘビを恐れる行動を取るのは、飼育下のサルだと半数くらいだそうだ。
川合 伸幸「ヘビが怖いのは生まれつきか?:サルやヒトはヘビをすばやく見つける」 認知神経科学 Vol. 13 No. 1 2011
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