トライトーン 成冨ミヲリ社長インタビュー第3回
最難関、東京藝術大学に現役で合格した成冨さんは、そこで自分の才能に疑問を持ったといいます。深い悩みの中からどう自分の道を見つけ出していったかをうかがいました。「大学行ってすぐ、自分が才能ないことに気づいてしまったんです。藝大(東京藝術大学)の工芸科です。
社長という生き方。社長になること、社長であること。
最難関、東京藝術大学に現役で合格した成冨さんは、そこで自分の才能に疑問を持ったといいます。深い悩みの中からどう自分の道を見つけ出していったかをうかがいました。「大学行ってすぐ、自分が才能ないことに気づいてしまったんです。藝大(東京藝術大学)の工芸科です。
「ある意味とても特殊なバンドだと思います。みんなプロのミュージシャンだからふだんはオリジナルをやってるわけです。それが3時間丸々ピンクフロイドの曲だけをやる。お客さんもメンバーのファンよりピンクフロイドのファンの方が多いでしょう。
美大、芸大の勉強って、ほとんど言葉ではなく『見て学べ』。本格的だけれどすごく時間がかかって、仕事しながら学ぶ社会人には向きません。私は社会人に絵を教えるようになってから、たくさんの質問を受けて答えるうちに、言語化することの大切さを知りました。
講談社サイエンティフィクはグループ会社の中でもやや設立経緯が変わっています。ノーベル賞受賞者の湯川秀樹博士が、自然科学分野での日本の発信力のなさ、世界レベルでの認知度の低さを嘆いておられたのを受け、親交のあった講談社野間省一社長(当時)が1970年に設立しました。
『今の若い編集者は』という人は昔からいましたね。私も散々言われた(笑)。しかし後輩たちの方がよほど優秀なんじゃないかな、上の世代の方々より。まあ優秀な人は『今の若い編集者は』なんて言いませんよ」
講談社には校閲採用で入りました。派手なこと目立つこと嫌いなんですよ。校閲、縁の下の力持ちみたいでいいなあと。ところが4年後月刊誌「現代」の編集部に異動になります。嫌で嫌で(笑)。人見知りだし編集など向くわけがないと思っていました。
9月の社長インタビューは講談社サイエンティフィクの矢吹俊吉社長です。講談社サイエンティフィクは理系専門書の出版社ですが、今回は講談社の部長時代に手がけられた思い出深いベストセラーの話からうかがいます。『聖の青春』のこと
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