【 次はイタ公抜きで 】
冗談でも言ってはいけないジョークというのがある。
「次はイタ公抜きでやろうぜ」
これ、なんのことか御存知だろうか。私はなぜか知っている。なにかの小説で読んだか、なにかの映画で字幕に出てきたか、誰かに聞いたか、そのあたりはもう全く記憶にないが、その意味は知っている。……が、「比喩としても使ってはいけないジョーク」というかそういう「引き出し」の中に入っているので自分の文章に使うことはまずなく、ほぼ自然消滅的に忘れかけていた。ところがフィレンツェ在住の友人との会話に突然に出てきたので、ちょっと驚いた。
「知ってるか?」
「一応」
「どこで聞いた?」
「さあ、もうずいぶん前のことだし、全く覚えてない」
これは端的に言ってしまうと、ドイツ人が日本人に向かって言ってるのだ。「先の大戦では大敗したが、次はイタリアは(同盟から)外して二国でやろう(戦おう)」と誘っているのだ。まさに戦争の悲惨さを棚上げにした暴言と言える。ブラックジョークでもこんなことを言ってはならない。しかし「どこから出てきたジョークだと思う?」「結局、このジョークはなにが言いたいのだろうと思う?」という質問には興味をもった。……が、その前に、なぜこのジョークが突然に我々の会話に飛び出してきたのか。それを聞かないことには先に進みたくない。友人には少々せっかちなところがある。
「あ、そうだったな。失敬」
この言葉には笑った。
「失敬!……これまたものすごく久々に聞いたな。ほとんど死語だよ」
「そうか。でも小説とかには出てくるだろ?」
「夏目漱石とか、そういう時代の小説にね」
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西欧の喫茶店は店内だけでなくヒサシを大きく張り出し、テーブルやら椅子やらを店の前に盛大に配置する。ほとんど歩道を独占しているような店が普通にある。「こういうのは取締りの対象にならんのか」と思って眺めていると、警官がその席でコーヒーを飲んでいたりする。「ああ、そうなの」てな感じ。友人画家に言わせれば、こういう客席は周囲の景観やら美人やらをデッサンするには誠に好都合らしい。
「……で、久々で外の空気を楽しんで風景を描いてたら、声をかけてきたドイツ人がいてね」
「もう喫茶店は開いてるのか?」
「ボチボチとね」
友人は日本語とイタリア語なら会話できる。しかしドイツ語はわからない。その男は当然のようにドイツ語で話しかけてきたので、多少ムッとした気分でイタリア語で応じた。すると首を振ったので、仕方なくブロークン・イングリッシュで応じた。イタリアで出会った日本人とドイツ人が英語で話をしたわけだ。頭の体操のような話だが、ギクシャクした英会話の末にドイツ人は相手が中国人ではなく日本人と知って(なぜか)大いに喜んだらしく、このブラックジョークを言ったらしい。
「英語で言ったのか?」
「まあそうだ。本当はドイツ語で言いたかったのだろうけどね」
「いったい、なにが言いたいんだ。まさか本気じゃあるまい?」
「軽いジョークのつもりだろうと思うよ、たぶん。場所がイタリアなんで、こういうジョークが出てきたのかもしれん」
「ふうん」
「15分ほどあれこれ会話を試みてね。お互い、こりゃダメだと思ったのでそこそこにして切り上げて、適当な握手をして別れたけどね。たぶん彼はこんなとこ(イタリア)にいないでドイツに来い、と言いたかったんじゃないかな?」
「大きなお世話だな。自分だってイタリアに来てるんじゃないか。そいつは軍人か?」
「さあね。直視に耐えない奇妙なガラのポロシャツを着てたね。軍人とは思えないね」
その後しばらくの間、友人は黒のペンと固形水彩を使った風景デッサンに集中した。しかし頭の隅にこびりついたようにドイツ人がニヤッと笑いながら言ったジョークを忘れることができなかった。
「ドイツか」と友人はささやいた。
「……しばらく行ってないな。うまいソーセージでも食いに行きたいな?」と思い、その瞬間に「いまドイツはどうなってる?……今後の様子を見ながら、クリスマスの時期に行こうかな。悪くないな」と思った。
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「なんでクリスマスの時期なんだ?」
「絵が売れる」
「へえ、それはいいね。現地で売るのか?」
「ああ、ドイツ人画家の友人と一緒に街頭で売る」
「どんな絵?」
「そりゃもう、イコンか天使だよ」
「イコン!……なるほどねぇ」
イコンとはなにか。友人の場合は画家なので「キリスト、聖母、聖人などを描いた宗教絵画」と説明して間違いはないと思う。彫刻の場合もあるが「クリスマスの時期に、街頭で売る」となると、これはもう大体の想像がつく。ポストカードほどの小さな絵を額装し、板に並べて売るのだ。
こういう点も、ヨーロッパはうらやましい。とにかく生活に困った画家は、小さなキャンバスにイコンを描いて、クリスマスシーズンに街頭で売ればいいのだ。もちろん絵の技量にもよるが、額装に2000円ほどかけて1万円程度で売る。飛ぶように売れるという。宗教のなせる技である。日本では1点も売れないだろう。
…………………………………… 【 つづく 】
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