【 追悼魔談 】魔の表情(3)

葬儀場から迎えに来た黒のセダンが父の遺体を引き取って行った後、ふと思いついて彼のアトリエに行った。しばし無言で部屋の中央に立った。額装絵画のガラスに映った自分の喪服姿に気がつき、他人を眺めるような視線でチラッと見た。室温は低かったが首元に汗で湿ったような窮屈な圧迫感を感じ、ネクタイの結び目に人差し指を突っこんで少し緩めた。ワイシャツからかすかに線香の匂いがした。

主を失ってしまったアトリエはいつもよりガランとして精気がなく、なにもかもが押し黙っているような気配だった。テーブルには制作中断状態の年賀状があった。その周囲に置かれた画材の状況から見て、(1)護王神社(京都)で撮影したイノシシの石像を年賀状に白黒コピーした。(2)その年賀状に顔彩でサッと着彩しようとした。……と推測できた。年賀状にかぎり、また気に入った写真が手元にある場合のみ、父が好んでやっていた制作プロセスだった。
「……もう2月に入ったというのに」と思わず苦笑した。彼はどれほど遅れようとも「年賀状は年が明けてから制作に入る」という態度を変えなかった。「明けてもいないのに、明けまして、などと書けるか」と笑っていた。「毎年オレの年賀状をすごく楽しみにしている人がいる」と口癖のように言い、1月が過ぎても2月に入っても悠々たる年賀状制作をしていた。

私の視線はごく自然にアトリエの壁の一点に向かった。そこにはなにもなかったが、むかし……私が中学生の頃なのでかれこれ48年ほど前のことだが、そこには小面(こおもて)がかけてあった。当時、私はそのお面になんとも言えない、じわっと迫ってくるような独特の恐怖を抱いていた。まさに「魔の表情」だった。

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中学生の頃、画家の生き様に興味を持った私は、アトリエに入って画集を借りてくる機会が多くなった。特にゴッホとロートレックに興味を持った。この二人の画家は、出自も、画風も、生き様も全く異なるが、同時代のパリで活動していた時期があり、仲が良かった。1887年、ロートレックは酒場にいるゴッホを描いている。
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父はゴッホよりも、ロートレックにより多くの興味を持っていたらしい。彼のアトリエにゴッホ関連の画集は2冊だけだったが、ロートレック関連の画集は10冊はあった。それらを片っ端から読んで知識を深めてゆくことにより、私もまたロートレックにより深い関心を持つようになった。
ロートレックは画家でありながら版画家でもあり、さらにデザイナーでもあった。彼は「ムーランルージュ」という行きつけの酒場から依頼を受けて、その店のポスターも制作している。中学生の私にとって、国も時代も違うとはいえ、そうした多角的な活動はじつに魅力的な生き方であるように思えた。まだまだ酒の悦楽を知る年齢ではなかったが、ロートレックの「酒場でワインを飲みつつ、すごいスピードで踊り子をデッサンした」という曲芸師のような制作エピソードにも興味を持った。

さらにまた(ちょっと本音を言うと)中学生という時期の多感な少年にとって、ロートレックの作品、特に「娼婦を描いたデッサンや絵画」はあまりにも強烈な、魅惑的な、背徳的な、禁断の匂いがする作品だった。娼婦とはなにか。ロートレックはどのような状況で、あるいはどのような心情でこれを描いたのか。この女たちのいったいなにが「絵になる」材料だったのか。とりとめのない夢想はつきなかった。
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当時の私としては、そうした画集はアトリエの机で読みたかった。自分の部屋に持って行きたくなかった。……というのも自分の部屋に画集を持ってきてしまうと、ついついそれをパラリと開いてはじっと絵を眺め、あるいは丹念に解説を読み、あれこれ夢想している時間が長くなってしまうからだ。そんなことに時間を費やしていたら(そんなことに時間を費やすことは何時間でもできた)、本来の勉強時間がどんどん減ってしまう。
しかしそんな簡単なことが、つまり「アトリエで画集を眺めて夢想にふける」というたったそれだけのことが、できなかった。アトリエには強敵がいたのだ。その壁にはじつに気味の悪い顔がはりついており、私をじっと見つめて得体のしれない薄ら笑いを浮かべていたのだ。

歌舞伎で使うお面らしい。当時はその程度の知識だった。これはまちがっている。正しくは歌舞伎ではなく「能で使うお面」である。しかし当時は歌舞伎も能も全く興味がなかった。「気味悪い女のお面だな。なんでまたこんな物をわざわざ飾るんだ」程度の感想でしかなく、そのままほっておいた。そのお面は癪にさわる存在であったがゆえに、少年期特有の反抗的な気分も加わって「あえて調べない」「相手にしない」という突き放した態度をとっていたような気もする。
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その後、高校生時代に小面は「若く、美しく、あどけない女の面」と知った。またそれを身につけた役者の微妙なポーズや仕草で、喜怒哀楽が全て表現できてしまうと知って驚愕した。「すげえお面だな。万能だな」という一歩進んだ感想を持つに至った。
しかし少年時代特有のとりとめない夢想を相変わらず引きずっていた中学生の時点では、「ここは父のアトリエであり、これは父の所有物である」という事実のみが優先し、私はただひたすらにその表情の不可解さを恐れていた。
しかも厄介なことにその女は、アトリエを出た後も私につきまとった。宿題や予習などに意識が集中している時は、なんの問題もなかった。一段落し、ふと気持ちが緩んでコーヒーを一口すすった時とか、そうした時にふっとその表情が空中に浮かんでくるのだ。
これは本当に厄介だった。まるでアトリエを出た時に、スッと壁を離れ私の背中にべったりと張りつくようにしてついてきたとしか思えないような、奇怪な現象だった。私は戦慄した。「大丈夫か?……ぼくは正常か?」とマジで疑った。自分をそんなふうにして疑ったことなど、かつてなかった。

……………………………………   【 つづく 】

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