【 タイガー魔談/第4話 】サーベルタイガー

こんな動物はいない

専門学校の教壇に立っていた時代、私が受け持つクラスのひとつに「ゲームクリエイター学科」があった。将来はコンピュータゲーム業界に進みたいと希望する生徒たちのクラスである。私はそのクラスにデッサンを教えていた。学校からは「人体デッサンがしっかりできる子たちにしてください」と希望を聞いていた。

1年間の講義開始時期に「どんなゲームが好きなのか?」と生徒たちに聞いてみたことがあった。やはり「FF」だった。「ファイナル・ファンタジー」。RPG(ロール・プレイング・ゲーム)である。

そこで私はFF世界に登場しそうな人物像をどんどん描かせた。剣士、魔法使い、アーチャー(弓の射手)、妖精などなど。予想したとおり、さすがにこの業界を目指す子たちだけのことはあり、多少の上手下手はあるものの、生き生きとした人物を巧みに描いた作品が多かった。人体デッサン講義にも力が入った。

さらに「人物だけではいかんな」とふと思い、怪物や動物も描かせることにした。その代表格はやはりドラゴンである。
「ドラゴンも大事だが、実際に存在していた恐竜たちも描いておいた方がいい」と私は生徒たちに伝えた。「……一度描いた恐竜は、必ず君たちの記憶にとどまる。ティラノサウルスやプテラノドンを調べておくように」

女生徒のひとりはその課題を聞いて喜んだ。彼女はとにかく動物が好きな子だった。自宅では犬や猫が何匹も室内をウロウロと歩き回っているような環境らしい。おそらく家族ぐるみで動物好きな御家庭なんだろう。
彼女は「プログラミング」講義で「走るサーベルタイガー」を作ろうとした。もちろんそれは私の講義ではない。私はプログラミングはできない。

ところがその画面を見た担当講師が笑った。
「こんな動物はいない。こんなキバでどうやってエサを食うのか」と言った。
その講師は私よりも9歳ほど年下の男だったが、サーベルタイガーを知らなかったのだ。優秀なプログラマーだと聞いていたが、「上から目線」で生徒を見るというか、少々そうした面があった。
指摘された女生徒は内向的な性格の子だった。背後からいきなり「こんな動物はいない」と笑われたものだから、黙ってしまった。しかもその次の回から「プログラミング」講義に出なくなった。

しばらくして学校はその女生徒の異変に気がついた。彼女を呼んで事情を聞こうとしたのだが、うつむくばかりでなにも言わない。「プログラミング」担当講師に聞いても「さっぱりわからない」ということだった。
「ゲームクリエイター学科」の講師は全部で5人いた。その全員が会議室に集合した。女生徒の異変を聞いて私も驚いた。
「彼女が最後に出た授業では、なにを教えていたのです?」と私は担当講師に聞いた。彼は説明したが、それはいかにも当日の講義概要で、要領を得なかった。
「彼女が制作していたのは?」
「キバがニュッと突き出たトラでした」
「キバがニュッと突き出た?……ははあ、サーベルタイガーですね」
担当講師の表情がサッと緊張した。
「サーベルタイガー、御存知ですよね?」

サーベルタイガー

さて本題。
前回の「バタータイガー」では、「アメリカで『ちびくろ・サンボ』海賊版を作ろうとしたヤツらは、トラを見たことがなかった」という話が出てきた。……そう、現在、アメリカに野生のトラはいない。しかしかつてはいたのだ。1万〜1万2000年前、アメリカ大陸西部に君臨する強大なトラがいたのだ。その名もサーベルタイガー。
RPG世界に颯爽と出てきて、冒険者たちの前に立ちふさがるボスキャラのようなルックスの猛獣である。なにしろ上顎(うわあご)の犬歯がすごい。長いものを持ってるヤツは20cmほどもあったらしい。こんなのを上顎からニュッと突き出したトラが走ってきたら、RPGの世界でも剣を投げ出して逃げてしまいそうだ。

それにしても、なんでまたこんな長い犬歯が必要だったのか。
長年の間、研究者たちは「これはバイソンを倒すための武器」と考えてきた。というのもサーベルタイガーの体重は270kgほどもあったと推測され、どちらかと言えばずんぐりとした体型であって、高速で小動物を追いかけるのは、まあ無理だろうと。そこで狙ったのがバイソンだったと。
確かにその「狩りの様子」は絵になる光景だ。草むらからバッと飛び出し、バイソンにしがみつくサーベルタイガー。その長い犬歯を首に突き刺すことで吹き出る血。バイソンは必死に抵抗するが、どんどん弱っていく。

しかし異説もある。その長大な犬歯(剣歯とも)は見た目は立派だが、じつはバイソンにグサリと突き立てるほどの威力はなかったというのだ。そんなことをしたら「ヘタをしたら犬歯が抜けおちる。あるいはサーベルタイガーの上顎骨が衝撃で破壊されることだってある。サーベルタイガーはそんな無茶はしない」と主張する古生物学者(アメリカ/ヴァンダービルト大学)もいる。それはそれで納得できる話ではある。

ではこの説の場合、長大な犬歯の役割はなにか。じつはサーベルタイガーは死肉食だったというのだ。つまり死体を切り裂くために犬歯を使ったというのだ。「バイソンに突き立てる説」が剣説だとすれば、こちらは包丁説ということになろうか。イメージとしてはかなりダウンしてしまうが、それはそれでありそうな話だ。

ともあれサーベルタイガーが襲っていた、あるいは死肉をあさっていたバイソン、マンモスなどの大型草食動物が次々に姿を消し、その結果、ついにサーベルタイガーも絶滅したらしい。一方、オオカミやコヨーテは大型草食動物が絶滅した後もなんとか生き延びた。オオカミやコヨーテは体が次第に小さくなっていき、歯の形状も変化していったというのだ。環境の変化により食生活も体格も変えることで、彼らは子孫を残すことができたのである。

追記

「ヴァッソコ」という名前はご存知だろうか。中央アフリカでたびたび目撃情報が飛び交っている謎のUMA(未確認動物)である。巨大なネコらしいのだが、その目撃者たちはみな口をそろえて「見たこともない大きなネコで、長いキバを持っていた」というのだ。まさにサーベルタイガーの生き残りのような話である。しかし写真もなければ骨もない。

こういうUMA目撃談を聞いた時に思わず頭に浮かぶ言葉が「逃げろツチノコ」だ。捕まって見せ物になってほしくないものである。
逃げろヴァッソコ!

 サーベルタイガー/完


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