【 タイガー魔談/第3話 】バタータイガー

ちびくろ・サンボ

バタータイガーとはいったいなんのことかと思ったでしょ。しかし「ほら、4頭のトラが輪になってヤシの木のまわりをグルグルと走っているあいだに、バターになっちゃった話」と言えば「あっ」とわかる人が多いに違いない。そう、「ちびくろ・サンボ」である。

この絵本を愛する人は多い。なにしろ高速回転の4トラがバターになっちゃった、というだけでもあっと驚く展開なのに、4トラが溶けてできたバターを使って山ほど焼いたホットケーキを死ぬほど食べたというのだから、じつに痛快。子供たちが喜ばないはずはない。
その強烈なシーンだけをずっと忘れないでいて、大人になってから物語を知ろうとした質問をネットで見かけて笑ったことがある。
「トラがグルグル回ってバターになった絵本、なんでしたっけ?」
やはりそこか。そうだよな、てな感じ。

ところがこの絵本、初版当時から今日にいたるまでじつに様々に改変され、海賊版が横行し、さらに人種差別問題に翻弄され、出版社がその対応に追われたという(他にちょっと例がないほどの)紆余曲折絵本なのだ。今回はそのあたりも含めて語ってみたい。

さて「ちびくろ・サンボ」。
原作はヘレン・バナマン。スコットランドの人である。彼女は軍医の夫と共にインドに滞在していた。そこで「インドのお話」という設定で、自分の子供たちに手づくり絵本を作った。子供むけの小さな絵本で、絵も文も彼女が作ったのだ。
その絵本が知人の目にとまり、英国の出版社より初版発行となった。1899年のことである。

ところがその絵本がアメリカにわたった。アメリカでは海賊版は出るわ、出版社が勝手に改変するわで、わけのわからん事態となった。「アメリカの出版界にモラルはなかったのか」と疑われるような話だ。
あれこれ調べてみると「その当時、著作権の混乱が多く見られた」とある。しかし常識的に考えて、原作者がちゃんといて、英国の出版社がちゃんと発行した絵本の内容を勝手に変えたら、そりゃあかんでしょう。

かくして主人公サンボは、アメリカではインド人少年ではなく黒人少年になった。サンボが迷い込む竹藪は森になった。
おかしいことに、この絵本はこのように手当たり次第にアメリカナイズされてしまったのだが、トラだけはそのままだった。……というのも、アメリカにトラはいない。勝手に変えてしまおうとしたヤツラはトラを見たことがなかったので、どうにも変えようがなかったのだ。「インドの竹藪にはスゲーでかいネコがいるらしい」とでも思ったかもしれない。

ところがこの改変、サンボが黒人となってしまったことで、「ちびくろ・サンボ」はじつに妙な展開となっていく。というのもたまたまだが、アメリカでは「サンボ」という名前は黒人の蔑称というイメージがあるらしいのだ。アメリカ全土でそうなのか、あるいはアメリカの一部でそうなのか、よくわからない。ともかくアメリカでは海賊版やら改変版やらを山ほど発行した後で、今度はその内容が人種差別問題に移行していく。自分たちで勝手にインド人少年を黒人少年にしちゃったせいで、「黒人蔑視の絵本だ」と非難される展開となっていくのだ。

 黒人差別の絵本 】

さて日本ではどうか。
「ちびくろ・さんぼ」(岩波書店/1953年)は、なんと120万部売れたらしい。しかし上記「その当時、著作権の混乱が多く見られた」は日本も例外ではなかった。「この絵本には著作権がない」と見なされていたのだ。その結果アメリカ並みに海賊版・改変版が次々に登場し、なんと70種類以上の「ちびくろ・サンボ」が日本で出版されたという。その当時の出版社から見れば「これほどうまい絵本はない」といったところだろうか。

この改変出版フィーバーはなんと35年間も続くのだが、1988年、一斉に幕を閉じる。「黒人差別の絵本である」という批判が出たからだ。出版社は一斉に「ちびくろ・サンボ」を絶版とし、書店から回収する事態となった。

その当時、「ちびくろ・サンボ」絶版理由を酒の席で聞いたことがある。男ばかり5人ほどで飲んでいたのだが、その中に出版社勤務の友人がいた。どのような経緯で「ちびくろ・さんぼ」の話になったのかもう忘れてしまったが、その友人が言った。
「ちびも、くろも、サンボも、あかんらしい」
これには笑った。
「なんだよ3つともアウトかよ」
「なんでサンボもダメなんだ?」
「インドじゃありふれた名前らしい。しかしアメリカじゃ黒人を馬鹿にした名前らしい」

それにしても「これは差別用語じゃないか!」あるいは「この話は差別じゃないか!」という批判に対し、出版社はかなりピリピリした対応をとる。それが実際に差別に相当するのかどうか議論する以前に、さっさと絶版に踏みきったりする。やはりその批判、その話題の長期化を恐れるのだろう。議論にはエネルギーを要する。批判の矛先を向けた人々が容易にその意見を変えるとは思えない。また議論が長引けば長引くほどに、企業イメージはどんどん悪くなっていく。そうした予想を避けた方が無難ということなのだろう。

さて現在。
「検討に検討を重ねた結果、その内容や文章表現に何らの差別は無いと判断し、復刊することにしました」(瑞雲社)ということで、日本では1953年の岩波書店版を見ることができる。

ちょっと面白いのは、じつは「ちびくろ・サンボ」はシリーズで3冊もある。つまり「悪い4トラがバターになって、ホットケーキを山ほど食べました」だけが、「ちびくろ・サンボ」の話ではないのだ。まだ続きがある。興味のあるかたはぜひ御覧いただきたい。

 バタータイガー/完


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