【 ファム・ファタール魔談 】ギリシア神話・絶世の美女へレネ(10)

【 やあやあ我こそは 】

このところ魔談はギリシア神話を取り上げ、そのエピソードの中でもことに有名なトロイア戦争の経過を詳細に追っている。元々は「この戦争は一人のファム・ファタールが巻き起こした」という話から興味を抱いてトロイア戦争の発端を調べ始めたのだが、なんのことはない、その絶世の美女はただ拉致されたのであって、「戦争を巻き起こした張本人」は拉致した男に決まっている。

それがトロイアの王子、パリス。

今回は「ついに出た!諸悪の根源、王子パリス」談である。

ゼウスが派遣した「夢のお告げ使者」により一気に元気になったアガメムノン。敗戦の痛手からたちまち立ち直り、再びトロイアに攻めて行く気分になった。

この「ゆめ」のお告げを聞くと、アガメムノンは勇気を盛り返しました。(ギリシア神話・あかね書房)

もう9年間も戦争して、大敗戦も「夢のお告げ」も、じつはゼウスが黒幕。アキレスもあきれるこんな馬鹿げた戦争を延々と続ける暴君のいったいどこに「勇気」があるのか……と思うのだが、ともあれ「ギリシア vs トロイア」両軍は再び陣を張って激突の構えとなった。

と、その時、トロイア軍からひとりの王子が進み出た。パリスだった。

この王子は大変に美しい王子だったとギリシア神話ではくりかえし称賛されるのだが、ルックスはともかく中身はアホとしか思えない。そもそもこの青年がスパルタの美しき王妃へレネを拉致したことからこの長い長い戦争は始まったのだ。後世に伝えられているファム・ファタール・ヘレネは、よくよく調べてみたら悪女ではない。罰せられるべきはこのパリスなのだ。海を越えた遠国の王妃を盗んだらいったいどういうことになるのか、この王子は予想できなかったとでもいうのだろうか。

さて進み出たパリス。

「我こそはトロイアの王子パリス。我と思わん勇士はかかってこい!」

なんと紀元前1500年前に、すでに「やあやあ我こそは……」はやっておったのですな。

するとそれを聞いて戦車から飛び降り、走り出た男がいた。メネラオスだった。

と言ってもこの名前はしばらく出てこなかったので、「メネラオス?……はて?」とカタカナ名に弱い方は思ったかもしれない。

ざっと一ヶ月前のことになってしまうのだが、9月16日に公開の魔談「絶世の美女へレネ(6)」にメネラオス(スパルタ王)の名が出てくる。

そう、この王こそが王妃を奪われて一番頭に来ている男なのだ。それはもう、怒りまくって走り出てきた。そのすさまじい形相を見たパリスは恐ろしくなった。味方の陣に逃げ戻ろうとした。いやまったく情けない。この王子はよほど先が見えない愚者としか思えない。

【 怒った兄 】

さて情けないパリスを見て怒ったのがヘクトル。パリスの兄である。

「おお、パリスよ。お前は美しくはあるが意気地なしだ。お前は海を押し渡って人の国から美しいヘレネを奪ってくる勇気はあったが、へレネの夫のメネラオスがかかってくれば、逃げ出すのか。ギリシア人はトロイア人がみなおまえのような意気地なしだと思うだろう。戦え、パリスよ。トロイアの我々は、とっくの昔、お前を石で撃ち殺しておけばよかったのだ」(ギリシア神話・あかね書房)

じつに同感。しかしここでも出てきた勇気って、いったい?(笑)

ここまで兄に言われて、ようやくパリスもまともなセリフを吐いた。

「ああ、偉いヘクトル。あなたの言葉はいつも正しい。あなたの心は鉄だ。あなたの好きなのは戦いだけだ。だが私の言葉を聞いてください。これから私は一対一であのメネラオスと戦おう。もしも私が倒れたら彼はへレネを連れて故郷へ帰るがいい。もしも私が彼を倒したら、ヘレネはトロイアにとどまるのだ。どちらにしても、あなたがたは戦いをやめて、仲直りをすることができるのだ」(ギリシア神話・あかね書房)

じつにまともな意見だが、これが9年間も戦って両軍ともに多数の死者を出したあげくの提案?

もっと早くに気がつけよ。開戦当時に気がつけよ。そう言いたい。

 つづく 


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