魔の歌声(5/最終回)

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話はモーガンの軽トラに乗せてもらった10月下旬から10ヶ月後、8月の穂高に飛ぶ。

その夏の穂高行きには明確な「目的」があった。「どうしてもヌエの声を聞きたい。もう一度聞きたい」という願いがある。しかしこうした目的を抱いて穂高に入ることについては、じつは若干の葛藤があった。

「その理由は?」「その目的は?」「その目標は?」……大人の社会生活には、なんと面倒くさい概念の多いことか。なにをするにしても理由がなければならず、その目的はなにかを求められ、さらに目標のありやなしやを問われる。そうした諸々の束縛から自分の精神を解放させるために、ぼくは山に逃げこんできた。そんな男にとって「山に行く理由」などあるはずがない。しかし今回は違った。明らかに理由がある。これは自分の生き方としてどうなのか。
多くの人にとって、そんな違いなど些細なことかもしれない。しかしぼくにはそうした点にどうしてもこだわろうとする自分がいる。「理由があって穂高に入るというのは、どうなのか」という葛藤がある。つまりぼくにとって穂高というのは、そうした存在なのだ。しかしこの時は「まあ、いいさ」と思うことにした。「たまにはこうしたイレギュラーも悪くない」という開き直り気分になった。
そんなわけでその夏の穂高行きは、最初から「ヌエを求める登山」となった。……とはいえ、ぼくが求めたのはあくまでも「声」のみだった。その声の主が実際は何者であるのか、そうしたことを追求しようとは思わなかった。さらに言えば、ただその声が聞けたらいいというものではなく、その声によって喚起されるイメージにこそ、一番興味があった。

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さてヌエ。
ヌエはさほど有名な妖怪ではないかもしれない。しかし一地域のみに伝承されているようなマイナーな妖怪ではない。その名は「古事記」「万葉集」にも出てくるという。だれそれがヌエを退治したとか、「サルの顔で、タヌキの胴体で、トラの手足で……」などといったわけのわからないツギハギ怪物として伝えられている地域もある。……ともあれ武勇伝や怪物伝はさておき、「真夜中の山で鳴く鳥・ひどく寂しげな鳴き声の鳥」という点にぼくはすごく惹きつけられる。きっとそれは古来より「不気味な声」とされ、忌み嫌われ、ついには「妖怪の声」という伝承となってしまったのだろう。さらにはなかなか寝床に入ろうとしない子供に対し「早く寝ないと(あの声の)ヌエがやってくるぞ」という世界共通の「泣く子も黙る夜の怪物」となってしまったのだろう。

本音を言えば、「声」に出会った沢近くにテントを張って、数夜を過ごしたいところだった。しかし沢近くにテント泊するのは危険であり、さらには、穂高では指定されたテント場(キャンプエリア)以外では勝手にテントを張ってはいけないことになっている。実際には「おおっ、あんなところでテント張ってるぞ。やるなぁ」と思うような光景をしばしば目撃する。しかしそれは違法行為なのだ。
そこで最寄りのテント場に拠点テントを張り、そこから徒歩で目的地に向かった。午後8時出発。暗闇の山道をゆく。懐中電灯で照らしつつ、黙々と半時間歩く。現地では蚊の襲来が予想されたので、野戦蚊帳(……と呼んでいるが、要するに網をかぶって草薮に潜むのである)も持参という完全武装である。一眼レフもザックに入れていたが、使うつもりはなかった。

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1夜目。2時間ほどで撤退。蚊に対する対空防御は野戦蚊帳で完璧のつもりだったが、なんと地上部隊にやられた。アリである。「いったいどこから?」「いつのまに?」と感心するほどに、気がついたらすでにズボンの中に侵入しており、両方の太もものあたりにそれぞれ数匹いる。ズボンの上から叩きつぶそうとしたら、逆に噛みつかれた。これにはまいった。「さすがは穂高のアリ」と笑ったが、どうにも痛い。マズイ方向にじわじわと接近しつつあるヤツもいる。ヌエの声どころではない。
我慢が限界に来たので、2時間ほどで撤退を決意。競歩スピードでマイテントに戻り、裸になって調べたら、なんと全身に7匹もいた。「なんか採取した時のために」といつも山に持参している小ビンに片っぱしから入れた。「コイツら熱いコーンスープに放りこんでダシにしてやろうかしらん」と思うほどに憎らしかったが、小ビンの中で右往左往しているアリを眺めているうちに、その気も失せた。テントから5mほど離れた場所で全員釈放。

2夜目。アリが嫌うメンソレータムを全身に塗りたくって出発。「メンソレマン参上」とつぶやいて、闇に潜んだ。1時間を経過したあたりで求めていた「声」はなく、そのかわりにこちらがギョッとするほど大きな羽音が、バサバサッと通り過ぎていった。たぶんフクロウだろう。……ということはヌエの声の主(トラツグミと言われているが、異論もある)が鳥であれば、今夜はまず鳴かないだろう。かなりがっかりしつつ、もう1時間半ほどねばって、成果なし。撤退。

3夜目。めざす声はついに聞こえず、そのかわりに1時間半ほど、ずっとフクロウの声を聞いていた。フクロウががんばっているかぎり、めざす声が聞こえるはずはない。2時間を経過したあたりで、涙を飲んで撤退を決意。こうして予定していた3夜は見事に空振りとなった。

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この話はこれで終わる。……のだが、じつはその2年後の9月に、ぼくはやっと「これぞまさしくヌエの声」というものを聞いている。その話には付随してぜひ書いておきたい魔談もあり、ちょっと調査を要する部分もあるので、「魔の宿」という別タイトルで、いずれ近いうちに。

…………………………………………………( 完 )

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