【 魔の目撃 】(3)

無言と緊迫。たぶん10秒ぐらいだった。しかしそのとき感じた時間。それはもう長かった。
双方ともに暗闇の中で五感を総動員させ、相手の気配を探っていたのかもしれない。状況は私の方が微妙に有利だった。相手はどう感じていたのかわからない。しかし私はそのように感じ、微妙な余裕を意識していた。

奇妙なことにそうした緊迫の只中でありながら、頭の隅でネコの仕種を思い出していた。
石段の途中でパッタリと出くわしてしまった2匹のネコ。1匹は上から降りて来た茶トラ。1匹は下から上って来た白ネコ。体つきは明らかに下から来た白ネコの方が大きい。ところが二段の距離をおいて対峙した茶トラと白ネコは、明らかにその態度に差があった。
すぐ脇の喫茶店ベランダ席でコーヒーを楽しんでいた私は彼らの行動をじっと観察し、あれこれと推測も楽しんだ。たぶん両方ともオスで、このあたりの複雑なテリトリーを巡って日頃から対立している仲なのだろう。しかし今回の接近遭遇は石段の途中だ。
上から来た茶トラは明らかに位置の優位を意識し、相手を威嚇するでもなく、石段の真ん中に悠々と座りこんだ。一方の白ネコは劣勢を意識している様子だ。こちらも座りこんだが、二段上の相手を見上げる位置であり、どうにも具合わるい。10秒ほどの睨み合いの後、白ネコは上って来た石段を引き返して降りていった。

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シビレを切らして動いたのは、やはり地上の方だった。私よりも恐怖が大きかったのかもしれない。走って去って行く足音が聞こえた。犬の気配はまったくなかった。
最悪の状況が予想された。すぐにでも足場から降りて走って見に行きたい気分だったが、この暗闇ではどうしようもない。もう一度その場に座りこんだ。再びガシャッと金属音が響いたが、もうどうでもよかった。
「……どうする?」
足音について考えていた。逃げてゆく足音が鮮明な記憶として残っていた。
「女?……まさか」
それは意外なほど小刻みだった。小柄な男か、あるいは女かもしれない。

しばらくあれこれと考えてみたが、結論めいたものは出なかった。地上の闇を見つめた。あの暗闇のどこかで、犬が息絶えて転がっているのだろうか。あるいは気絶しているのかもしれない。いずれにしても懐中電灯なしでは、見つかりっこない。どうしようもない。近くのコンビニで懐中電灯と電池を手に入れようか。バカ言え。そんなお金の余裕がどこにある。これには関わるな。お前にはなんの関係もないことだ。こんなことに関わって、いいことなんかひとつもないぞ。さっさと降りてメシを食いに行けよ。明日の朝も早いんだろ。

私は立ち上がった。ガシャガシャと音を響かせて足場を降り、街に向かった。蒸し暑い夜だった。ラーメン店にでも入ってビールも飲もう。そう思うと一気に空腹感が押し寄せて来た。余計なことは考えないようにして足早に立ち去った。

翌朝。
建築現場に来た私は、足場脇の空き地で数人の男たちが立っているのを見た。みな建築現場の男たちで、地上を囲むようにして見下ろしている。足場前で私を迎え、手元の書類に私の出勤時刻を書きこんだ現場監督が、私の視線に気がついた。その方向をチラッと見て言った。
「犬が死んでるらしい」
「そうなんですか」と私は言った。さすがに自分でも元気のない声だと思った。
「なにか知ってるか?」
「いえ」と私は言った。「知りません」
「ああ」と現場監督は言った。その話題はそれで終了。その日の私の仕事説明に移った。

……………………………………   【 つづく 】

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