奥に小部屋があることはわかっていた。コブリッジを買おうとしたときに、老人が一度ひっこんだ部屋だ。老人はその部屋から再び出てきた時に、紐で通したコブリッジを持って出てきたのだ。なのでTTは奥に調理部屋でもあるのだろうと思っていた。パンでも焼いている最中なので、婦人の声に気がつかないのかもしれない。
小部屋に勢いよく入ったTTは半ば呆然としてその場に立ちすくんだ。そこは極めてプライベートなベッドルームだった。狭い部屋の中央にベッドが置かれていた。周囲には洋服ダンスや棚らしきものがあるのだが、脱ぎ捨てた衣類や本や食器やゴミなどがベッドのまわりに散乱し、床もほとんど見えない有様だった。
「まさに日本のゴミ屋敷だな」と思ったものの、そんなことはどうでもよかった。とにかくその部屋のどこかにジッツオがないか、そこにしか関心はなかった。
TTは無言で部屋の中をぐるっと見回した。もちろん彼の視界の中には、ベッドにもぐりこんでいた老人も入っていた。老人が上半身を起こしてTTを指差し、声高になにか罵っていることも、彼の上半身が裸だったことも、汚れてシミだらけになっている毛布の下に妙な「ふくらみ」があることも承知していた。
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「まずい状況だな」と私は言った。「……ジッツオがそこになかったら、まちがいなく家屋侵入だよな」
TTは頷いた。
「もちろんそれぐらいのことはわかっていたけどね」
「……でも強引に押し込みたくなった?」
「長い間あちこち海外を渡り歩いてバッグパッカーをしているとね」と彼は言った。……色々なトラブルが発生する。それなりの度胸も身につく。常に太陽の位置と東西南北を把握しながら歩くようになる。また自分の勘だけを頼りに、思いきった行動に出る機会もしばしば発生する。
「つまりこの時も勘が働いたと?」
「まあそうなんだけどね。……それは後になって〈あの時は勘が働いた〉と思うだけで、実際の瞬間には勘がどうこうなんて思ってやしない。そんな余裕もない。ただもう夢中で、〈きっとこうだ〉となにかを確信するだけ」
「危ない賭けだな」
「そうかもそれない。……しかし海外旅行というのは言葉が通じない場合が多いわけで、これはもう圧倒的に情報不足というか、情報を得られない。考えたところで情報不足でどうしようもない。時間もない。その場の自分の直感で動くしかないし、そうした覚悟のようなものを持ってないと、ひとりでバッグパッカーはできない」
「なるほど。……で、ジッツオはそこにあると思った?」
「絶対にこの家のどこかにある。それ以外の疑いなど、全くなかったね」
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TTにとって幸いなことに、ということになろうか……じつに奇妙な事態が次の瞬間に起こった。老人の罵声を聞いたらしく、婦人が部屋に入ってきた。彼女は老人の様子を見て腹を立てたらしく、驚いたことにツカツカと老人のベッドに近づき、汚れた毛布をパッと払いのけてしまった。
「いや驚いたというか、奇怪なものを見てしまったというか……彼はハダカでね」
「ハダカ?……パンツもはいてないのか?」
「全裸だよ。……で、人形と寝ていたのさ」
「……」
「その人形もね……先ほど見た大きな人形で、2歳とかそれぐらいの大きさなんだけど……全裸でね」
婦人の行動も理解を越えていた。なにか大声でわめきながら、平手打ちで老人の肩や背中をバシバシと叩いている。老人は両手を広げて顔面をガードしていたが、ただそれだけで全くの無抵抗だ。見るに見かねたTTは婦人を止めに入った。婦人の背後からふと老人のベッドを見ると、人形は一体ではなかった。なんと老人を囲むようにして、三体の全裸人形が寝ていた。
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「三体?……みな同じような人形なのか?」
「同じだ。まるで三つ子のようだったよ」
「単に人形が好きで……それがちょっと異常なだけじゃないのか?」
「わからない。もうそのような状況ではなにが正常でなにが異常かなんて……そんなことを考えてる余裕はなかったね」
彼は小型のスケッチブックと鉛筆を出した。通常の鉛筆ではなく、黒の色鉛筆だった。
「面白いな。なんで鉛筆じゃなく色鉛筆なんだ」
「普通の鉛筆は鉛で、光に反射するだろ?……その反射光が嫌いなんだ」
私は満足して笑った。
…………………………………… 【 つづく 】
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