「今年は明智光秀の年」と言えば多くの日本人は即座になんの話かわかるだろうし、説明の必要はないように思われる。その麒麟は次の日曜日、1月5日(日)に初回がやって来ると聞いて楽しみにし、この年頭魔談もそれに合わせて光秀を持ち出す予定はずいぶん前から計画していたのだが、33歳女優の不祥事とやらで2週間も延びて1月19(日)まで来ないことになった。やれやれである。本編が始まる前に「大河ドラマ出演という栄光から転落した女優/シンデレラ抜擢のスーパーラッキー女優」というドラマが発生したわけで、「麒麟の明暗」以前に「現代女優の明暗」狂言を前座で見せられたような気分だ。
ともあれ光秀。……とはいえ今回の魔談は光秀を語るものではない。彼と縁が深かった琵琶湖の話である。
光秀と言えば坂本城である。鬼の信長がやった「叡山焼き討ち」の後、信長の命により光秀が琵琶湖畔に築いた城が坂本城である。「比叡山を坊主ごと焼いてやったわ。今後の京都がどう動くか、そこでしっかりと見張っておれ」というわけだ。その後いろいろあって光秀は我慢に我慢を重ねたあげくとうとうキレて信長を討ち、想定外の神速Uターンで攻めてきた秀吉との合戦に敗れ、坂本城へ戻る途中で命を落とした。個人的には「せめて坂本城まで戻らせたかった。城を盾に大いに奮戦し最期を飾ってほしかった」と思う。
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その坂本城。もしこれが少しでも残っておれば、地元は「今年は稼げるぞ!」と大騒ぎになったことだろう。しかし残念ながらなにも残っておらず、ほぼ完全に住宅地と化してしまった。かつてルイス・フロイス(宣教師)は自分の著書で「安土城に次ぐ豪壮華麗な城」と坂本城を褒めたたえたらしいが、いまでは掘もなく石垣もなく、本丸があった場所でさえ電子計測器メーカーの研修所とかで立入禁止となっている。
しかしそのあたりの湖畔に立つと「きっと光秀も同じ景色を愛でていたのだろう」とふと思いを馳せるような清々しい遠望を楽しむことができる。海としか思えないような広大な水面。しかしそれは紛れもなく淡水であって、淡水であることがなにかの奇跡のようにさえ思える。はるか彼方に連なる山々を眺めると、右手には「近江富士」と呼ばれるきれいな形の三上山(みかみやま)が霞んでいる。左手の山上には、かつて安土城があったはずだ。対岸の安土城からするすると狼煙が上がると、それは登城を命じる合図だったと聞いている。光秀は馬を飛ばすか、船で安土城に急行したのだろう。
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私の母校は京都の嵯峨野高校である。通学は自転車で通っていた。その高校時代3年間のあいだに、自転車で琵琶湖を一周するのが夢だった。琵琶湖一周の距離はざっと200km。夏の早朝に京都の自宅を出発すれば、夜に帰宅できることはわかっていた。しかしできれば琵琶湖が見える宿で一泊し、刻々と変化する湖水の色の変化を眺め、写真を撮ったりスケッチしたりで数時間はのんびりと過ごすようなひとときがほしかった。
その夢は高校時代に実現できなかった。うかうかしている間に高1時代はあっという間に過ぎ去ってしまった。これはいかん、では高2の夏休みに実現しようと思っていたら受験のためのセミナーが始まり、気分は琵琶湖どころではなくなってしまった。高3では琵琶湖などまず無理だ。この夢は高校時代の半ばを待たずして「実現できそうもない」という暗澹たる結論にならざるをえなかった。悔しかったが、「大学にさえ入ったら」と決意した。
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かくして大学2年生の夏、ようやくそれを実現した。愛用の自転車は東京学芸大学に置いてあり、滋賀県まで転がしてこようという意欲はなかった。そこで実家に置いていたバイクで一周することにした。「自転車で一周」の夢は「125ccで一周」となってしまったが、ともあれ夢の実現がうれしかった。琵琶湖沿いの安い宿を探し、国民宿舎に電話した。「おひとりですか?」と聞かれ、「相部屋になるかもしれませんよ」と申し訳なさそうに言われたが、穂高の山小屋ではたびたび相部屋を経験している。「いいですよ」と応じた。
バイクではあっという間に一周してしまい、自転車に比べて琵琶湖一周の達成感が薄くなるのではないかという懸念があった。……が、そんなことはなかった。バイクの利点は気が向いたらすぐに駐車し、そこいらをのんびりと歩き回れるという点だ。琵琶湖のきらめく水面を視界の端に感じながらゆるゆると走っては停車し、気が向いたら散策して写真を撮ったり写生したりした。
その頃の私はワトソン(高級水彩紙)のF0スケッチブック(ちょうどバイブルサイズ・システム手帳ほどの大きさである)に紐をつけて首から下げ、アーミージャケットの左右の胸ポケットにそれぞれ12本の色鉛筆を入れて歩いていた。「琵琶湖の風景を描いてみたい」という夢はようやくかなった。
「午後7時の夕食時間を厳守してください。大食堂に来てください」と言われていた。時間を守って大食堂に行くと大学生の団体さんが来ており、ずいぶん賑やかだ。セルフサービスでお盆を持って御飯とおかずと味噌汁を受けとり、「さて」と着席する場所を探した。できれば賑やかな団体さんからは1mでも離れた場所に着席したかった。
室内を見回すと、長々と連結した会議用テーブルの隅で、ひとりで夕食をとっている男がいた。50代ぐらいだろうか。その時点で私の父は52歳だったが、父の友人の抽象画家と風貌がよく似ていた。
その男は夕食をとりながら地図を眺めていた。彼の目の前には琵琶湖周辺の地図があり、ハードカバーの本が3冊ほど脇にあり、そのうちの1冊が広げられて細長い文鎮が乗っていた。こちらもあまり近寄りたくない雰囲気だったが、他に席が空いてないのでどうしようもない。
私は彼に軽く会釈して、斜め前に着席した。
…………………………………… 【 つづく 】
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