【 魔の自己愛 】(1)

【 相 談 メ ー ル 】

6月上旬。やや肌寒い朝だった。2階の仕事部屋の窓を開けてみると、空はうすい灰色に隙間なく覆われていた。網戸をスライドさせ、少し身を乗り出して、西の空を注視した。重い灰色の雲が広がっていた。
(午後から雨かも)
そう思いながら熱いコーヒーをいれた。コンピュータを起動させ、傍にマグカップをドンと置き、メールを確認した。

私の仕事開始は、メールの確認から始まる。この日も仕事メールや、友人からの雑談メールや、どうでもいいお知らせメールが20件ほど。いつもの朝の開始だった。ところがその中に見慣れない差出人名があった。
(?……だれだっけ?)
かすかに見覚えのある女性の名前だった。以前に知っていたような気がする。しかし思い出せない。メール文面に目を通して、やっと思い出した。11年前か12年前、岐阜の喫茶店で会って話をした記憶が蘇った。
(そうだ、確かあの店で会った。なんの話をしたっけ?)

思い出せなかった。
メールでは「御意見をうかがいたいことがあります」とあった。しかしその内容については全く書いてなかった。(ずいぶん慎重だな)と思わざるをえない。とりあえず返信した。
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです。私でよければお話をうかがいます」

【 時 計 草 】

10数年前、私は岐阜市に住んでいた。「柳ヶ瀬」と呼ばれる繁華街から北東に徒歩15分ほど。金華山(昔の稲葉山)の裾に住んでいた。斉藤道三が頂上に岐阜城を築いた山である。
そのあたりの賃貸住宅物件は、地元の不動産屋の話では「ちょっと変わった物件が多い」と聞いた。要するに近代的なアパートだのマンションだのというのは、ほとんどない。そのかわりに築50年だの60年だのという古い貸家物件があちこちにある。そういう一角だと聞いて大いに興味を持ち、あちこち歩いて貸家を見た。その中で最もこじんまりした小さな貸家に決めた。

私が住んでいた物件は狭い路地の奥にひっそりと建っているマッチ箱のように小さな貸家で、それでも6畳1間だけのつつましい2階部屋があり、お風呂も水洗トイレもちゃんとついていた。おまけに1階の奥の小さな庭には(なんだこれは?)と目を見はるような巨大な円筒形の給湯ボイラーまであった。私はそのボイラーに「鉄人1号」とあだ名をつけた。
尼崎駅前に立っている原寸「鉄人28号」(2009年完成)は、原作漫画の設定では28回目の改良モデルである。ならば1号はこんな感じの円筒ロボットだったのじゃないかと勝手に想像したのだ。

その時代、私は山裾のひなびた界隈をよく散策した。スケッチブックにさっとペンを走らせて密集する民家を描いたり、玄関先に並べられた植木鉢に咲いた花を撮影したりした。
ある時、古民家の玄関先で時計草を見かけた。「複雑」を通りこして「奇怪」としか言いようがないようなその花の構造をしばし眺め、背中のリュックサックに入れていた一眼レフを出した。あちこち角度を検討しながら撮影していると、目の前の窓がスッと2cmほど開いた。
(しまった。シャッターの音で家人に気づかれたか)

その隙間に向かって軽く会釈した。窓はそのままスッと閉まった。それで不問だろうと思っていたら、木戸の向こうのドアがガシャガシャと鍵を外す音が聞こえた。
(うわっ、出てきたか。苦情でなければいいが)

木戸をギィッと滑らせて出てきたのは女性だった。年の頃は40前後だろうか。
(怖そうなジイさんでも出てきたら厄介だな)と不安に思っていた矢先だったので、とりあえずホッとした。
「すいません。無断で時計草の撮影をしてしまいました」

率先して謝っておいた方が無難という作戦だった。婦人は上品な笑顔で「これはまだ小さい方。庭にもっと大きいのがあります」と言った。
私は誘われるままに木戸をくぐって庭に入った。そこはよく手入れされた小綺麗な庭だった。決して広くはなく、そう、15坪ぐらいだろうか。1坪は「およそ2畳の広さ」と聞いている。10畳の部屋3室ほどの広さだったので、15坪ぐらいだ。

住宅は古民家の平屋で、庭に面して縁側があった。そこに一人の男性が腰掛けていた。作務衣のような、少々変わったグレーの和服を着ていた。年は60あたりのように見えた。
私は会釈しようとしたのだが、男はスッと立ち、そのまま部屋の奥に消えてしまった。立った時に靴や下駄を脱ぐような様子はなかった。たぶん素足のまま縁側に座っていたのだろう。いかにも他人を嫌うというか、気難しい雰囲気の初老男だった。

つづく

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