【 ミシェル 】
世の中には不思議な能力を持った人がいるものである。
BBにとって私は友人の友人。BBはフィレンツェ在住のフランス人。友人はフィレンツェ在住の日本人。二人はイタリア語で会話している。「友人の友人」はそこからざっと9870km離れた日本の山中に潜む日本人。
「友人の友人」という位置の人につき、通常はどの程度関心を持つものなのか。もちろんそれは人により違う。たとえば私の位置から見れば、BBは「ブリジット・バルドーと似た美人」と聞いているので「どんな美人か」と興味を持っても自然だが、「男嫌いで恋人はイタリア女」とかのBBが私などに興味を持つ理由がない。ところがいきなりの……
「その話をしてきたあなたのお友達は、自分の絵だけじゃなくて、自分の文章にも相当にこだわってあれこれ書いてる人でしょ?」
全くそのとおりなのだが、なんでそんなことがわかるのか。
「最近、魔談にBBと書いた回数が増えてきただろ?」
「そりゃそうだ。話題にしてるからね」
「話題にされると、なんとなくわかるらしい」
「遠く離れた異国でもか」
「たぶん距離とか言語とか、そういうのは関係ないのだろう」
「驚きだな。しかし考えてみたら、会ったこともない女性を話題にしてるわけだ。失礼だな」
「その点は大丈夫。本人は喜んでる」
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自称肩書「ミシェル・ド・ノートルダム研究家 & タロットカード占い師」のBB。
彼女は常の会話で「ノストラダムス」と呼ばない。「ミシェル」と呼んでいる。ノストラダムスの本名は「ミシェル・ド・ノートルダム/Michel de Nostredame」(フランス語)だからだ。「ノートルダム」をラテン語風に書くと「ミシェル・ノストラダムス/Michel Nostradamus」になるという。
「そこにこだわる理由はなんかあるのか?」
「予言者として数々の伝説に彩られた彼よりも、ひとりの人間として研究したいらしい」
「なるほど」
我々日本人の感覚からすれば、「ノートルダム」と「ノストラダムス」では全然イメージが違う。前者には崇高な教会のイメージがあり、後者には(五島さんに上手に騙された私の世代以上はきっとそうだろうと思うのだが)人類滅亡を予言した恐ろしい男というイメージがある。
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【 642作品 】
さてノストラダムス。その伝説に満ちた数奇な人生もさることながら、様々な疑問も出てくる。そのうちのひとつ、これは彼の予言を知れば、誰もがまず抱く疑問だろう。なぜ予言を「難解な詩」という形で表現したのか。なぜもっとストレートに、リアルに表現してくれなかったのか。この点につき少し追求してみたい。
彼の詩はずいぶんある。ひとつの詩は4行で構成され、100の詩を集めた詩集が10冊ある。……と言えば「おおっ、全部で1000の詩があるのか」と普通は思うわけだが、そうではない。「第7集」は42番目で止まっている。この時点での合計642作品が彼の生前に出版された詩らしい。
「なるほど。7冊目の42番目を書いた時点で死んだ。残りはその後に発行された」
「だろうね。死後に3冊・300の詩が追加された。それが8・9・10冊目となった」
「よくそんなにたくさんあったな」
「BBによれば、ちょっと疑わしい筆跡のものもあるらしい」
「やれやれ。死んだ直後からもう偽物がまぎれこんでいるというのか。なにを信じていいのかわからんな」
面白いことに、BBの説では「第7集後半の58作品も、じつはあった」というのだ。なにを根拠にそう信じるに至ったのか聞いてないが、その説によれば、なにかの、誰かの圧力により、ノストラダムス本人がやむなく削除したという。「彼としては、その削除した58作品はやむをえなかったとしても、それまでに書いた多くの詩から58作品をセレクトして、100作品で第7集を出版することができたはず」ということらしい。なのにしなかった。削除された詩の存在が無念であったため、「第7集」のみは42番目で止めたのだという。
さらに彼女の説は続く。
「ノストラダムスは削除せざるをえなかった58の詩をすんなりと削除したとは思えない。必ずどこかにこっそりとそれを記したものがあったはず」
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「それにしてもたくさんの詩を書いた人だな。ひとつの予言インスピレーションが降臨するたびにひとつの詩が生まれる、なんて感じかな?」
「どうだろうね。予言することとは全く別に、文章を書いたり本を出したりすることは、彼はとても好きだったんじゃないかな。彼は料理の本も出してる」
「へえ。ちょっと意外。ノストラダムスのお料理の本。すごい違和感。笑える」
「ただ困ったことに、詩はとにかく難解らしく、たとえば〈韻をふむ〉とか、〈ラテン語を元にした造語がある〉とか、そういうスタイルは他の国の言語にうまく翻訳できない」
「だろうね。英語ならともかく、日本語じゃねえ。でもそこまで詩を難解にした理由は?……やはり〈これは御覧のとおり、ただの詩なんで、決して神を冒涜したり教会を否定したり、そういうものではありません〉という一種のガードか?」
「まあ宗教裁判とか異端審問会を恐れていたのは事実らしい。しかしどうもそれだけじゃないようだね」
「他に理由があったと?」
「文学としての詩にこだわったんじゃないかな。BBはそう言ってる」
「うーん、よくわからんな。文学にこだわると、詩がなぜ難解になる?」
「その点はオレにもよくわからん。ノストラダムスはフランス人だからね。フランス語に精通していて、フランス語による独特の詩の作り方とか、そういうのがわかってないと、たぶんその理由はわからんね。実際、誤訳は多いらしい。意図的に誤訳したなんて例もいっぱいある」
「なるほど。意図的な誤訳。そこから1999年7月の人類滅亡大予言も生まれたわけだ」
「日本人だけが大騒ぎして、本が飛ぶように売れたというのが面白い」
「まあ、その時点でのお国の事情みたいなものもあったのだろうね、たぶん」
たとえば今の日本であればどうか。
「新型コロナウィルス・巨大地震・巨大台風、この三つ巴攻撃で日本は真っ先に滅ぶ」と声高に叫び、「じつはノストラダムスにそれを連想させる詩がある」と本に書いて世に出せば、飛ぶように売れるかもしれない。今も昔も「大衆の不安や恐怖をあおる」人間が出てくる時代があり、まさにいま、我々はそうした危険性をはらむ時代に突入しつつあるのかもしれない。
…………………………………… 【 つづく 】
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