【 魔のウィルス 】27

【 7 】

「パラフィン紙」という名称を記憶している。私にとってそれはなつかしく、ホロ苦く、この数回に渡って語ってきた数々のシーンも含めて、総じて「少年時代の葛藤」といったイメージの言葉となっている。しかしいまの時代の日常生活では、この名前を見たり聞いたりすることはもはやほとんどない。「なにそれ?」と知らない人も多いかもしれない。
これは紙にパラフィンという「ロウの成分」を沁みこませたものである。紙の繊維の隙間にロウが入りこんでいる。そのためトレーシングペーパーのように半透明で、独特の光沢がある。また水をはじく。別の名称で「ロウびき紙」と呼ばれているのを聞いたこともある。

私の場合、三角ケースを初めて手にし、その中にぎっしりと入っていた三角形の紙を見てちょっとした衝撃を受け、1枚を引き出した時に、初めてまじまじと見て自分の手でさわった紙だった。もちろんその時点では「パラフィン紙」という名前など知るはずもなかったが、半透明で、すべすべした感触で、子供心にも「いかにも高級」といった雰囲気を漂わせた紙であったことはよく覚えている。

さらに衝撃的だったのはその中にモンキチョウが、まるで折り紙のようにきちんと羽を合わせた状態で入っていたことだ。半ば透けた状態の紙の繊維の中に閉じ込められたモンキチョウは、それがまだ生きているのかすでに死んでいるのかさえ、私にはわからなかった。

その時期、私は呼吸器系に若干の障害を抱えていた。紙にピタッと挟まれて身動きの取れなくなったモンキチョウをじっと見つめているだけで、次第に呼吸は荒くなった。同時に窒息しそうな息苦しさを感じた。
私は黙って目の前に立っている少女を見た。彼女としては、たぶん私から次々に質問が飛んでくるだろうと予想していたのだろう。得意満面で、金属ケースのことを、三角紙の使い方を、その中に入っているモンキチョウをどうするのかを説明したかったのだろう。

いまとなっては、その時に彼女が用意していたであろう説明を聞きたかったものだと思う。その三角ケースは誰のものなのか、どこから借りてきたのか、知りたいと思う。しかし彼女の期待は外れた。質問はなにも飛んで来なかった。
数秒の沈黙が流れた。彼女は私の手から三角紙を取り上げ、それを金属ケースに戻してカチリと蓋を閉め、黙って自分の席に戻っていった。

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結局、私はそれらの謎を全部自分で調べた。まず学校の図書室で調べ、ついで町の図書館に出かけていった。
じつは図書室にしても図書館にしても「このコーナーに行って調べたら、たぶんわかる」という予想はついていた。にもかかわらず私はそれを実行しなかった。ものすごく知りたかったくせに、すぐにでも知りたかったくせに、私はそれを棚上げにしたのだ。わがことながら、なんとも不可解な心理だとは思う。しかしまた一方でこうした少年時代の自分の行動をあれこれ回想し、あるいは当時の気持ちを想像するとき、おぼろげながらゆらゆらと浮かんでくる「葛藤の断片」のようなものがある。うっすらと思い出される気持ちもある。心の底に、なにかがまだ残っているような気がするのだ。

「三角紙に閉じこめられた蝶がどのような運命をたどるのか」という事実につき詳細を知った私は、強い衝撃を受けた。図書館の大きなテーブルで広げられた図鑑。そこに解説された「蝶の展翅」。しばらくそれを眺めていた私は、その数日後にちょっとした事件を起こした。

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【 8 】

ある日、私が学校に行っている間に、母は私の部屋に入って掃除を始めた。机上に放り出されたノートから数枚の紙がはみ出ている。何気なくノートを開いてその紙を手にした母は衝撃を受けた。そこにはコマ割り漫画における「絵コンテ」のようなラフなタッチで、奇怪なストーリーが描かれていた。

深夜、「いかにも悪人」といった感じの黒いサングラス男が、妙な形状の黒いトラックを運転している。
「あ、あそこにきれいな服の人がいるぞっ!」
悪人がポンとスイッチを入れるとトラックの後部に設置された巨大な腕が動き、あっというまにその女性を捕まえる。それと同時にトラックの倉庫(三角形をしている)がパカッと二つに割れてその中にポイッと女性を放りこむ。家に帰った悪人は、床に立てた板にその女性を貼りつけ、満足げにそれを見ながら「ふっ、ふっ、ふっ。いいミイラになりそうだ」と笑う。

学校から帰ってきた私は、母の顔色を見て驚いた。しかし母はなにも言わず、私もまたなにも聞かなかった。自分の部屋に入り、ノートから紙がなくなっているのに気がつき、「ははあ」と悟った。父が帰ってきた時点で、両親を前にして問い詰められることを覚悟した。

…………………… 【 つづく/次回でこのエピソードは最終回 】

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