【 密林 】
「やはりそうか」とつぶやいた。
線路上を歩いていく乗客たちは、トンネルに入らなかった。車掌の先導で、みな黙々とトンネル脇の山道から上に登り始めた。
列の一番最後にいた私もそれに従った。重いザックを背負って山道を歩くことには慣れている。慢性的な疲労感があったが、穂高を歩き回った記憶が蘇って元気が湧いてきた。
あえぎつつ山道を登り周囲の草木を見ると、これはもう穂高の植生とは全く異なっている。日没が近いことでもあり、黒々と沈んだシルエットと化している樹木からは、無数の気根がすだれのように垂れ下がっている。どことなく不気味な光景だが、日本にはない魅力がある。アンリ・ルソーが描くジャングルを連想した。密林に分け入るような奇妙な高揚感があった。
ルソー自身は、じつは実際のジャングルを「見たことも行ったこともない」という話だ。彼はパリの植物園に通い、そこでスケッチしたジャングルの草木を好きなように組み合わせてジャングルを描いた。そのため「この植物はジャングルにはありえないでしょう」という草木も混ざっているらしい。しかしジャングルではありえなくとも、台湾ではありえるかもしれない。この島の植生の多様さはすばらしい。
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細々とつづく山道を半時間ほど歩いてトンネルの山を越え、再び線路に戻ったところで、ついに残照も消えた。日は完全に没した。
「いったいどうするのさっ」と先を行く乗客たちに大声で聞きたい心境だった。みな黙々と先を歩いてゆく。まさに難民気分。
夜の線路行進をついに断念した人々もいた。そうした人々は線路から出て脇の土手を降り、適当なところで土手の傾斜に座ったり、寝ころんだり、たき火をしたりしていた。驚いたことに、のどかな歌声まで聞こえてきた。じつに南国的、牧歌的な光景だった。
やはり南はいい。生きていくのがラクだ。私は感心しながらその人々を眺めた。台湾の人々の大らかさは、恵まれた気候が大いに関係していることはまちがいない。その証拠に(……と考えながら、歓楽的に野営し始めた人々を眺めた)、あの人々は線路脇の野原で一夜を明かすことをちっとも苦にしていない。それはなぜか。ゴロンと寝転んだところで蚊に刺されるのを苦にさえしなければ、一晩中あたたかくしのぎやすい気候だからだ。食べ物だって(……と考えながら、野生らしき小さなバナナをもぎとってきた男を眺めた)、あのとおりなんの苦もなく手に入る。
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【 レールのつぶやき 】
9月の下旬だったが、ここでは真夏の夜といった風情だった。台湾は沖縄よりもずっと赤道に近い。じっとりと蒸し暑いディープな夜の到来だった。すっかり暗くなると、様々な音色を競う虫の声が一気に増えた。
私は暗闇の中に立ち、レールを眺めた。はるか前方に立ちはだかる山のシルエットに向かい、まっすぐに延びてゆく二本の銀線。魅力的な光景だった。非現実的な光景だった。私はしばらくのあいだなにを考えるというわけでもなく、その光景に見とれた。
もはや先に進む意欲はなかった。台湾の真ん中あたりの線路脇でのんびりと朝を待つというのも、まあ、長い人生の一コマとして悪くない。そう思うと気持ちが楽になった。
中正空港(台北空港)に降り立ってからというもの、ずっと緊張してきた。一刻も早く友人に会いたい。友人の状況を確かめ、彼の話を聞き、彼の力になりたい。切実にそう思い続けてきた。その願いはまだ達成されていなかった。
様々なトラブルをなめて台中の手前まで来たことは来たが、本当に彼に会うことはできるのか。その保証はなにもなかった。しかしやるだけのことはやったのだ。明日はきっと台中に入ってみせる。それにこのとおり(……と考えながら、暗い中で自分の両手を眺めた)、五体満足だ。しめったワラのようにぐったりと疲労してはいるが、とにかく元気だ。
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レールに腰かけた。風にのって牧歌的な歌声がとぎれとぎれに流れてくるのに耳を傾け、様々な虫の音色に聞きほれながら、しばらくのあいだ星空を眺めた。すばらしい星空だった。一筋の流れ星を見た。水筒を出して水を一口だけ飲み、少し溶けかけているアーモンドチョコレートの一山を半分だけかじった。残りはていねいに銀紙に包んで箱に戻した。
ふと思いついたことがあった。幼い頃によくやった遊びをまたやってみたいという気になった。いまならできそうだ。周囲にだれもいないのを幸い、暗闇にまぎれて実行することにした。レールを両手でつかみ、耳をレールに近づけた。レールに耳をピタリとつけ、じっと耳をすました。
危険この上ない遊びだが、小学生時代、この遊びが好きだった。学校の帰りによくやったものだ。私が誘ったクラスメイトたちは、みなすごくこわがって一緒にやろうとしなかった。それでたいていは彼らを線路脇にひそませて見張りにしておき、ひとりでやった。
レールはじつに様々な音を含んでいた。私だけが知っている音色だった。はるか彼方からキイーンと響いてくるジェット機のような音があった。キリキリ、キリキリッと金属が歯ぎしりをしているような音があった。カチコチ、コチコチと何者かがつぶやいているような音があった。しかしやがてそれらの微細なささやきは、じつに力強く規則的な音に駆逐される運命にある。それはカタンコトン、カタタンコトン、と最初はごくごく控えめな振動から始まる。しかし次第に力強い音に成長し、暴虐のかぎりを尽くした轟音へと成長してゆく。
私はこれに身震いするような快感を覚えたものだ。後になって中学生のときに聞いたフル・オーケストラ「ボレロ」だって、このときの感動、このときの迫力に比べたら微々たるものでしかない。
しかしもちろん危険は承知していた。ひとつまちがえば電車を止めてしまうほどの大事件となる「とんでもないイタズラ」であることもわかっていた。だからこそ見張をたてた。電車がカーブを曲がってきて私を発見する可能性のある直前で、私は野うさぎのようにパッと逃げた。
最後にこの遊びをやったのはいつだったろうか。もう覚えてはいなかった。たぶん中学校に進み、詰め襟を着るようになると、やめてしまったのだろう。このようにしてなんの惜しげもなく捨て去ってしまった少年時代のささやかな悦楽は、いったいどれほどあるのだろうか。
成長する過程で、我々はじつに多くのものを失っていく。その価値も、その意義もよく考えないままポンポンと放り出し、置き去りにしていく。それが成長だ。
けれどざっと30年ぶりにレールに耳をつけ、ひそやかな音をさがしていると、徐々にではあるが、心の水底からなつかしい記憶がゆらゆらと浮上してくるような気配がした。
においがそれを加速してくれた。
「そうそうこのにおい」と思った。うれしくなった。それは夏のレールが放つ独特のにおいだった。私はこの「鉄道のにおい」を嗅ぎながら、レールの音に耳をすました。
…………………………………… 【 つづく 】
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