【 魔の終活/ヒトラー編 】(短編魔談 13)

【 ノストラダムス予言 】

ヒトラーは「魔談」でも以前に登場したことがある。「魔のウィルス15」(2020.6.26)のノストラダムス談で出てきた。こんな話だった。
難解な予言詩を数多く残したノストラダムスはフランス人だった。そのフランスではよく知られている予言で「ヒトラー関連」とされている詩文がいくつかあるらしい。ノストラダムスはヒトラー登場を予言していたというのだ。名前も「ヒスター」と書いている。(Histerは地名だとする説もある)

ノストラダムスはどんなシーンを見たのだろう。彼が「Hister」と記してからざっと400年が経過し、ゲッペルス(ナチスドイツ宣伝相)の奥さんがノストラダムスの予言に興味を持った。彼女は「これはヒトラー台頭の予言にまちがいなし」と信じ、ゲッペルスにそのことを伝えた。

しかし残念なことに、「進撃」をイメージする詩文はあっても「勝利」をイメージできる詩文はどこにもない。そこでゲッペルスは「でっち上げの予言」を創作した。しかもあろうことか、それを数千枚のチラシにしてフランス上空でばらまいた。それには「ノストラダムスの予言」として「ドイツが勝利する」ことと「その結果、フランス南東部は分割される」と書いてあった。戦時中とはいえ、よくもまあこんな恥知らずな作戦を思いついたものだ。後世に叩かれるとは思わなかったのだろうか。

あるいはゲッペルスはノストラダムス詩文を隅々まで詳細に調べ上げ、暗澹たる気分で「第三帝国に勝利はない」と結論したのかもしれない。「もうここまで来た以上、やるだけやって滅ぶしかない」と覚悟し、ヤケノヤンパチ気分でこのような恥知らず作戦を思いついたのかもしれない。

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【 残っていた義歯 】

さて現在。
フランスの法医学者でフィリップ・シャルリエという人がいる。彼は幸運にも(ということらしい)ロシア連邦保安局の許可を得て国立公文書館に行き、ヒトラーの遺骨を調べることができた。もし彼がアメリカ人またはドイツ人であったなら、この許可は絶対に出なかっただろうと言われている。フランス人のなにが幸いしたのかよくわからないのだが、ともあれプーチンは許可したのだ。

そこで彼が見たのは、ヒトラーのものとされる「頭蓋骨の断片」と「歯と顎の骨」だった。頭蓋骨の断片は透明のケースに入っており、そのケース越しでしか見ることはできなかった。博物館の陳列品じゃあるまいし、これではいかに法医学者であろうとも、お手上げだ。

しかし義歯の調査で進展があった。
このあたり、フレデリック・フォーサイス(「ジャッカルの日」で有名)によるテンポのよいハードボイルド小説のような展開で面白い。ヒトラーの歯を治療した医者は、ヒトラー生前のレントゲン写真を保存していた。当然、その写真には義歯が写っている。これが見事に一致した。ここからはまさに急展開。義歯は本物であり、さらにその義歯をよく調べることで「ヒトラーは青酸カリを服用し、なおかつ拳銃で自らの頭を撃ち抜いて自殺した」というSS(総統警護隊)隊員の証言とも一致したのである。

ヒトラーの自殺を知ったSSは、ヒトラー生前の命令により、ヒトラーとエーファ・ブラウン(自殺直前にヒトラーと結婚/青酸カリで自殺)を部屋から運び出し、総統官邸の中庭で焼こうとした。しかし完全に燃やすことができず、追加のガソリン缶を運んできたりと、かなり狼狽していた様子がうかがえる。周囲は雨のように撃ち込まれている砲弾のすさまじい炸裂音で、命令や会話もままならなかったに違いない。
結局、遺体は完全に焼却できなかった。

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(余談)
「帰ってきたヒトラー」(2015年/ドイツ)という映画がある。タイトルを初めて目にした時は「アメリカが作ったB級ドタバタコメディー」という第一印象というか勝手な予想だった。チャップリンの前例もある。
ところが、なんと「アメリカ」も「ドタバタ」も外れていた。多少ドタバタ感はあるものの、この映画は意外なほどシリアスで、とにもかくにもドイツ人が制作したことで(様々な意味で)物議を醸した。

この映画には原作小説(2012年)がある。邦題では「帰ってきたヒトラー」だが、ドイツ語の原題では「Er ist wieder da/彼が帰ってきた」。しかもドイツではベストセラーとなり、その勢いでドイツ映画になった。

どういう話なのか。ヒトラーは1945年、ベルリンの総統地下壕内で自殺した。……はずだが、なぜかその直前にタイムスリップし、現代の芝生の上で起き上がった。本人にもその理由はさっぱりわからないまま物語はどんどん進行し、周囲の人間は彼を奇人変人コメディアンとして扱い、やがて「あまりにもヒトラーに似ている」(笑)という理由で、テレビのトーク番組に出演するにいたる。しかしさすがは本物である。彼の熱い演説に、テレビを見た多くのドイツ人の中には共感する者も出るようになる。

この映画の監督ティムール・ヴェルメシュは次のように述べている。
「ヒトラーを単純に悪魔化するだけではその危険性を十分に指摘できない。リアルなヒトラー像を表現するためにあえてその優れた面も描き出した」
いかにももっともな理由であるように思われる。しかし本当にそれだけの理由だろうか。もっとどろどろした「なにか」が、用意されたコメントと暗黒の本音の狭間にゆらゆらと介在しているのではないだろうか。

たとえば「怪物を甦らせたい」という屈折した願望が人(特に男性)にはあるのかもしれない。たとえそれが実現すれば自らを滅ぼしかねないことがわかっていても「蘇った怪物をこの目で見たい」という魔の願望。日本のアニメ世界では、すでにその「魔の願望」をじつに巧みに登場させているようにさえ思える。巨神兵(ナウシカ)。エヴァンゲリオン。進撃の巨人。

ヒトラーが地下室で自殺した1945年から76年。なにかの本で読んだ歴史学者の言葉がふと脳裏をよぎった。
「戦争は終結して80年を経過したあたりから、最も警戒しなくてはならない。戦争に向かって突き進む人間が必ず出てくる」

…………………………………* 魔の終活/ヒトラー編・完 *

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